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バマコ。黄金郷と呼ばれたその都

2019/03/09
 
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パフォーマーYogi 二十歳の頃より世界を周る放浪の旅に出る。アジア、ヨーロッパ、アフリカと駆け巡り、そこでの出逢いからパフォーマーとして歩み始める。その後はイタリアに居を定め演劇芸術を学んでいく。豊富な経験と独特の感性から綴られる言葉は広く世の中を貫く。特技はバルーンアートとジャグリング、ハンドパン演奏!
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バスは遠くの地に灯を認めた。

おぼろげながら、あれは街の灯だ。

小さく頼りなくゆらゆらと灯るその光は、しかし今まで通過してきた街の何倍もの規模だ。

あれを首都と言わずになんと呼べるだろうか。

遥か昔にセネガルのダカールを発ってからおよそ60時間。

僕らはようやくゴール地点へと辿り着いたのだった。

乗客たちも喜びの顔を隠せずにいた。街の中心地に着くまでの間に停留所で一人、また一人と嬉しそうに降りていく。そこには家族が迎えにきていたりしている。

最後にバスターミナルに着く頃には、車内もガラガラとなっていた。

無事に着いてよかった。

僕らはひとまず安堵した。

キリスト教系施設

疲れていたはずなのに、宿へと着くと元気が出てきた。

ここはガイドブックで紹介されていた場所で、キリスト教カトリックの運営するホテルだった。

白装束をまとったシスター達が笑顔で迎えてくれ、部屋へと通された。

普段は信者用なのだろうか、安い宿で旅人向けにも紹介されていた。

キリスト教系の施設として有名なのは、YMCAだろう。世界各地にあって誰でも泊まる事ができる。
スリランカで一度泊まった事があったが、そこは洋館みたいな場所でコウモリが飛び交い、まるで映画にでも出てきそうな場所だった。

ここのは街中にあり、周りと一緒でパッと見は普通の建物だった。
中もよくある感じの安宿風だった。

地元民か黒人の方々の集団もいて、それなりに賑わっていた。

そしてここではニュージーランドから来ていた男性2人組とフランスから来ていた女性2人組のバックパッカーと出逢った。

旅人と出会えるのは嬉しいし、こんな僻地になってくると尚更だ。

僕らは60時間かけてきた分、バマコに着けたのが嬉しくて仕方がない。
しばらくここで羽根を伸ばすことにした。

黄金の都。その由縁

バマコの街は今まで見てきた街の光景とはまた少し違っていた。

街はとても大きくて広い。区画整備がしっかりとされているが、しかし道はアスファルトではなく、土の所が多い。乾燥した気候のため土埃がよく立つ。

人も車も多くて喧騒に包まれる。
ここは西アフリカの中心に位置し古代より様々な人や物が行き交ってきた場所だ。

マリはその昔、栄えに栄え、その全盛期が13世紀にこの地を統治した王、マンサ・ムーサの時代と言われている。

彼は世界史の授業でもその名が出てくるほどで、覚えている人もいるかもしれない。

その名を有名にしたのが、彼の行った聖地メッカへの巡礼の旅だ。

5万とも10万とも言われる家臣と奴隷を連れ、金の延べ棒を現在の価値にして、35兆円相当分を持って旅をし、訪れる先で惜しみもなくそれを喜捨したとある。

資産額としては後にも先にも人類史上最高である。

その凄まじいほどの量から、当時のエジプトのカイロで金相場が崩れ、その後10年間は戻らなかったと言われている。

またヨーロッパにアフリカには金が大量にあると知らしめ、黄金伝説を作らせた程だった。

特にその中でもマリ北部の街トンブクトゥは有名で、サハラ交易の主要地点だった。多くの商人が訪れ、物資が行き交った。

マンサ・ムーサは多くのモスクや施設をトンブクトゥに造り、文化の中心としての役割も果たすようになっていった。

さらに文明の進んでいた中東や北アフリカなどからイスラム法学者、天文学者、占星術師などを呼び寄せ、アフリカで初めての大学もこの地で誕生したと言われている。

金塊を手にするマンサ・ムーサ

しかし王国は徐々に衰退していく。盛者必衰、時代の流れか。
マリ帝国は周辺国との戦いでその領土を失っていくと、小国として細々と続いていき、18世紀には滅亡とある。

その後は様々な勢力によって国がこの地に興るが、ヨーロッパからやってきた強敵には敵わず、フランスに制圧されてしまう。

その後はフランスの統治下におかれ、1960年に独立し、マリ共和国として現在に至るのだった。

アーティストの集落へ

宿の前には小洒落たバーがあってそこには地元の人たちがよく飲みにきていた。

僕らはその中で’’チョー’’というおじさんと知り合った。僕らは毎日のように顔を合わす度に仲良くなっていた。

彼はアーティストでバマコの郊外の山にギャラリーがあり、是非見に来ないかと誘ってくれた。

同じく宿で仲良くなったニュージーランドのニックとジェーミーも一緒に見に行くことにした。

山の麓に住む子供達
雄大な景色だ、一面に広がるバマコの街。
山を登っていると、頭に薪を載せて歩く女性たちとよくすれ違った。
子供の道案内^^
ギャラリーへ行く前に山散歩へと。緑少ない荒れた道
山の奥地では滝修行場!?もあったw

山の中を道草をしつつ歩いていくと、道に出た。
そこには集落が点在し、その中の一画に彼のギャラリーはあった。

さらに案内されて進むと、先ほどの乾燥していた大地とは打って変わって、緑豊かな素敵なコテージが現れた。

そこにはフランス人の女性達が何人かいて、染物をしたり、服などを作っていた。

ここはどうやらアーティストの住むコミュニティーでもあるようだ。

荒野の中に現れたオアシスのよう
楽器が置いてあり、みんなでよく演奏するようだ♪

ここでは時間がゆっくりと流れていて、市内の喧騒からも離れ気持ちの良い場所だった。

敷地の中にはサルがいた。ノミ取りしてくれているw
犬とサルは仲良かったっけ??アフリカでは全ての次元が違う!?
不思議な三匹。あまり見ない絵だw
たまに悪さしてチョーに叱られるw
まだ子供らしい。やんちゃなお猿。

人々の生活、そして自身の葛藤

バマコには合計10日間ほど滞在した。
周りから奇異の目を向けられることにも慣れ、子供達は好奇心一杯に触れ合ってくる。我々の肌は彼らと比べ明るく、とても目立つのだ。

異国の者であるにも関わらず、純粋無垢に、楽しそうに接してきてくれる彼らといるのはとても楽しかった。

いつも通っていたご飯屋のママ
近所の子供達
いつもの飲み屋さんで

そしてこの頃から僕の中での葛藤は大きくなっていった。
それが雄生に対するものであった。

ここまで彼と共に旅してきて訪れてきた地、出逢ってきた人々、その中でどこにいっても彼は人々の中心にあり、そして人気者であった。

全く知らない土地で、全く知らない文化や価値観の中で、どんな秘境でも、その中でも彼は常に人の中にありスターのようであった。

それは純粋に凄いことだし、褒め称えるべきことだ。

しかしそれを認めたくない自分が大きく存在してしまう。

何も出来ていない自分、何の取り柄もない自分、全然かっこよくない自分、そんな自分が彼といる事によって大きく目立ってしまうのだった。

’’比較する事に意味は無い’’、と言っても、まだ若かりし感性にとってそれは難しい事であったし、また負けん気が人一倍強い自分にとってもそれは容易な事ではなかったのだった。

彼と僕の持つその絶対的な差は大きく、共にすれば共にするほど心は折れ、僕は自尊心を失うのであった。

そしてそれは態度として現れ、変に強がってみたり、素直でなかったり、冷たかったりしてしまう。

アフリカ旅が奥地へと進むにつれて、僕自身の旅も更なる深みへと進んで行ったのであった。

彼はどこでも誰とでも人と仲良くなれる。

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パフォーマーYogi 二十歳の頃より世界を周る放浪の旅に出る。アジア、ヨーロッパ、アフリカと駆け巡り、そこでの出逢いからパフォーマーとして歩み始める。その後はイタリアに居を定め演劇芸術を学んでいく。豊富な経験と独特の感性から綴られる言葉は広く世の中を貫く。特技はバルーンアートとジャグリング、ハンドパン演奏!
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