メリークリスマス!みなさん!
12月25日は言わずと知れたクリスマスですね。
クリスマスは欧米の文化であり価値観の根幹を成しているキリスト教のイエス・キリスト様の誕生日ですね。(諸説あり)
非常に重要で偉大な日なので、その前日をイブと呼び前祝いをも行いますね。
(英語でeve(イヴ)とは前日、前夜という意味)
日本ではなぜか恋人の日という感じになっていますが、また商業的とも言われますが、しかしみんなそれで楽しんでるし、それはそれで良いんじゃないかと僕としては思っています^^
かくいう僕自身も、10代の頃はこの日を如何に異性と過ごすかで奮闘していました。(笑)
しかしその後旅をし、海外を周り、そしてキリスト教の本場であるイタリアに住むようになってからはその価値観はだいぶ変わりましたが。
目次
キリスト教とは、バチカン市国とは
イタリアがキリスト教の本場である理由、古代ローマ帝国があった場所であり、そして現在ではバチカン市国があるからです。
バチカン市国は、世界最小の国として有名ですよね。
東京ディズニーランドより小さい国土の中にでもちゃんと銀行や司法施設があります。
そしてそこにある大きな教会、サン・ピエトロ大聖堂。
4世紀頃に建てられたこの教会は、教会としては世界最大の規模を誇り、中は絵画や壁画に彫刻で飾られ豪華絢爛!✨
芸術性としても高くとても美しいです。
ミケランジェロの描いた壁画、最後の審判もここにあります。
こここそが世界中でおよそ12億人いると言われているキリスト教カトリックの総本山です。
そのトップである教皇もここに住み、職務をこなしています。
カトリックとプロテスタント?その違いとは
ちなみにキリスト教にも多くの宗派が存在し、一番聞くのが、カトリックとプロテスタントではないでしょうか?
その違い、みなさん分かりますか?
大まかな説明になりますがその違いは:
カトリックは歴史が古く、古代ローマ帝国でキリスト教が国教に定めらると、それが今に伝わりそれをカトリックと言います。
そこでは様々な儀式や祭典、役職が作られてきました。
歴史がある分、伝統を重じて作法にこだわります。
特徴としては権力社会であり、教会や神父さんには絶対的な力があります。
その一番上に立つのが教皇です。
ピラミッド形式の権力構造になっています。
政治にも大きな影響を及ぼしてきました。
多くの聖霊がいてマリア様を篤く信仰します。
ヨーロッパにおいてキリスト教の価値観や影響は大きく、各街には中心に必ず教会があり、そこから街が造られ広がっていきます。
そして教会前には広場があり、マーケットが開かれたり、市民の憩いの場となり、大道芸人もここでパフォーマンスを行います^^
しかし時代が進むにつれて、中世くらいの頃から教会や神父さんの汚職、またこの権力一点集中したピラミッドシステムに人々は疑問を抱き始めます。
そこで原点に返ってキリスト教を見つめ直そうとした時にドイツやイギリスで宗教改革が起こり、プロテスタントが生まれました。
時はアメリカ大陸発見と重なり、このプロテスタントという価値観は、アメリカで広く普及していきました。
その為に、今ではアメリカのキリスト教はほぼプロテスタントです。
ちなみに「牧師」と「神父」という言葉がありますが、プロテスタントで牧師と呼び、カトリックでは神父です。
聖なる夜の鐘の響き
旅していた当時の事
僕はたまたまいたローマにしばらく滞在することになった。
時期は12月の中旬だった。
街はクリスマスムードに賑わい、華やかで温かみのある雰囲気は自分の想像していたものと一緒だった。
サンタクロースやトナカイもしっかりといて、しかしそれがアメリカのコカ・コーラ社によるものだとはつゆ知らず、しかし当時の自分としては、アメリカもヨーロッパも’’同じ’’としか思っていなかったので、それら全てを欧米の文化として楽しんだのだった。
その日、12月24日の日も僕は普段通りに過ごした。街には買い物客が多いなという印象くらいだった。
この後、夜になってみなどこかへ遊びに繰り出すのかな?と思っていた。
しかし、夜になっても街は活気に帯びることはなく、むしろシーンと静まり返ったままだ。
まして、人の影がなくなった。
僕の当時住んでいた家は、利用客の多い駅の近くでいつもはもっと夜でも賑わっているのだが、この日に限っては人通りがなくなったのだった。
そして0時になって聴こえてきたもの、それはどこか遠くから美しく鳴り響く鐘の音色だった。
どこかの教会で鳴らしているのだろう。それは一定の間隔で打ち続けられてしばらくの間続いた。
その夜は、それで終わったのだった。
クリスマスの過ごし方
その後僕はイタリアにご縁が出来、何度もここでクリスマスを過ごす事になる。
そして友達が出来てくると、毎回みな口を揃えて言うのが、クリスマスは昼から家族と食事だ!ってこと。
そして決まってみんな言ってきてくれるのが、もし1人ならばうちに来るか?だ。
その後僕は、この地でクリスマスを1人で過ごしたことはない。
毎年誰か友人のお宅でそこの家族、一族一同と一緒に楽しく食事をして過ごさせてもらっている。
それは食にこだわりを持つイタリア人ならではの寛容なところか、またハートフルで誰でも受け入れてくれる温かみのある文化のせいだろうか。
昼から始まった食事は、ゆっくりと色々な料理が出てきて、団らんしながらずっと食べている。
お腹がはち切れそうなくらい食べて本当に苦しい思いをしたのも人生でここくらいだ…!
そして夕方にはそのまま夕食と称して、また別の料理も出てくる。(嬉しいが辛いw)
お母さん達は腕自慢げに料理を披露してくれ、お父さん達は「食べろ、食べろ!」と隙あらば料理を盛って来てくれる。
子供達は賑やかに騒ぎ、クリスマスツリーにプレゼントが並ぶ。
幸せな家族の時間がそこにはあった。
聖なる夜!
それはまさにこの事かもしれない。
家族と一緒に過ごす事以上の幸せがあるのだろうか!
そこにこそ、愛が生まれ、聖霊が降り立つのかもしれない。
キリスト教の本場イタリアにて、その伝統的な様式を肌で受け、胃も心も満たされ幸せを感じたのだった😊