プロフィール

ようこそ!ワールドトラベラーYogiのブログサイトへ!

こちらのブログでは、私の世界を旅した内容や経験談、またアフリカやイタリアをメインに書いています。

旅とはワクワクするものではありますが、実際には異国の地に行くことであり、大変なことや辛いこともたくさんあります。

そんな出来事や困ったもの、けれども素晴らしさや楽しさも含めて発信していきます。

読んでくださる方がワクワクしたり、またこれから旅に出ようと思っている方の手助けになれば幸いです!

世界に触れる経験を通して、皆さんの毎日に少しの刺激と良質のインスパイアを!



運営者の略歴

  • Yoji Yanagisawa / Yogi Chan (ヨギー・チャン)
  • 埼玉県出身、1984年7月生まれ
  • パフォーマー/ブロガー/スピーカー

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20歳の頃より世界を周る旅にでる。

陸路で周る事にこだわり日本を船で出発した後は、西を目指し進む。中国大陸からチベットを渡り、ネパール、インドへ。その後中央アジアを通るとヨーロッパ、遂にはアフリカ大陸までと辿り着いた。

モロッコから始まったアフリカの旅は南アフリカを目指して南下して進んだ。その途中にセネガルやマリといった国々を通り、そしてガーナへと辿り着いた。

ガーナでは、観光客に向けてファイアーダンスやアクロバットをする人たちと出逢い、またその地で生きる逞しい若者たちともたくさん出逢った。
そこでの日々は今までの自分の人生を見つ直す深い日々だった。
自分の何倍も濃く深い人生を送っている彼ら。自身の根本から揺るがす熱い鼓動を感じざるにはいられなかった。

そしてこの時の出逢いから、自分自身もパフォーマーとしての道を歩み始めた。

「生きるとは輝くことだ。今きみは生きている。それを全身全霊で表現するんだ」

彼らに教わった言葉である。

そしてこれ以降の旅は、今までとは全く違ったものになっていくのだった。

Ghana-2008-

その後ヨーロッパに戻ると、この芸をもっと試すべく、路上パフォーマンス、更により深く人と出逢う為にヒッチハイクで各地を周る。
人間と心というものを根本から学ぶ貴重な経験であった。

そしてその後に辿り着いたのはイタリアのローマだった。そこで腰を下ろすと合計して五年間住む事となった。演劇の学校に通い、日々パフォーマンスをし、路上からパーティー、イベント、フェスティバル、TVにまで出演する。

日本とは真逆の価値観を持つこの国にて、愛と芸術の感性を学んできた。

Viterbo,Italy -2013-

Yogi×旅のスペック

旅歴10年
(内イタリア滞在5年)
訪れた国57カ国

使用可能言語:
日本語
英語
イタリア語
中国語(ちょっと)

旅の技:
ジャグリング各種
バルーンアート
ハンドパン演奏

パフォーマーとしてのプロフィールはこちらから。

イタリア列車にて

趣味・興味

宗教学・民俗学
言語学
映像制作・文章作成
トレーニング・筋トレ
健康食・自然食・非動物肉食
太極拳・瞑想
ファッション・裁縫・コスチューム制作
クリエイティブ作業
自己表現・パフォーマンス
社会貢献、ゴミ拾い

ミッション(使命)

多くの国を旅して見てきた。貧困や飢え、物乞い。難民や移民問題、宗教対立、イデオロギー、政治や権力のエゴ。そして環境の汚染とエネルギー問題。他の生物に与える悪影響、虐待、殺戮。

もちろん、人間にはプラスの面も多く存在するが、自分にはやはりこのマイナスの面で苦しんでいる人や環境や生物に貢献したいと思う。

その第一歩として、まずは自分自身が行動すること。伝えること。発信すること。
より自分が影響力の強い人間となって、多くの人へ声を届けられる存在になること。

そうした先にあるのは、全ての人種や国の垣根をなくした、統一された一つの地球国家を作ること。
それは遥かなる理想かもしれないが、例え1000年後でも、その礎は今から築くべきである。

実際にそれを夢見て日々活動している人たちは世界にいっぱいいる!

「動けば変わる」

愛と平和と平等の世界を目指して!

人生の理念

・愛すること
・夢みること
・感動すること

自身が輝くことによって、周りを明るく照らす。

将来のビジョン

どこにいても、楽しく幸せであればいいと思う。
世界の平和を祈りつつ、しかし一番大事なのは自身の内面の平和だ。
自分が幸せでないのに、他を幸せにはできないだろう。

旅人人生、過去-現在-未来

~きっかけ~

18歳、高校を卒業した時にクラスメートの一人が海外に留学する、と言ったのに衝撃を受け、そこから海外というものに漠然と憧れを抱くようになる。

それからというもの、海外や旅、バックパッカーなるものに憧れを抱き、寝ても覚めてもその事ばかりを考えるようになる。

知らない土地、異文化、冒険というものに対して、この上ない希望や好奇心、ワクワクドキドキ、鳴り止まぬ心の鼓動を覚えた。

そして21歳の時、満を持して初めて海外一人旅というものに出たのだった。

旅人時代

昔ながらの旅のスタイルに憧れて、飛行機は使わずに陸路のみで進んだ。

過酷な道や茨の道、危険な街や暗黒地、道無き道を自ら選んで進んで行った。そこにこそ大切な何かがあると思った。

飛行機で一気に飛んでしまっては分からない、その下に暮らす人々。
世界の最底辺、リアルにこの世界で起きている事をこの目で見てみたい。
そこから自分の道を模索したい。

TVや新聞などのメディアは偏っている。どう報道するかによって、それはいくらでも事実を作り替えることができるからだ。それは、その裏に付くスポンサーなどの影響によって大きく左右される。

そうではない真実の世界をこの目を通して見てみたかった。

ただ、危険な地に行くと今の日本の社会ではある言葉を持ってして叩かれるようになってしまった。

そう『自己責任論』。

それが言われ出した当時の事はよく覚えている。
中東で人質になってしまい殺害されてしまった日本の若者がいた事だ。

僕が旅出る2、3年前の話だ。

その彼もまた旅人であり、自分探しをしていた。

平和な戦後の日本で育った僕らにとって、紛争というのは実感があまり無い事であったし、その彼がどこまで危機感を持ってそこに行ったのかも定かではないが。

しかし、その気持ちも分かった。世界の現状を見て自分の道を模索したい。その想いが、紛争地域へも足を運ばせることを。

もちろん遊び半分で行くような中途半端な事は絶対にするべきではない。そこではまさに人が殺され、焼かれ、撃ち抜かれているのだから。

しかし、ある種の使命感からか、「それを見ないといけない」。

事実、その後もイラクなどで人質となった人たちは、皮肉にも様々な活動家や任務を背負った人たちだった。

僕らはあらかじめ敷かれたレールの上など歩いていない。

この手で一体何ができるだろう?

その答えは、様々な場所での経験や体験からよってのみしか出てこない。

旅をしている以上、安全なども約束されてはいないし、まして発展途上国を、ローカルの中を、言葉が通じない中をたった一人で進んでいる。

ただ、単純に『危険だから行くな』と言われて素直に頷く者に、道を開拓できるだろうか。

少なくとも自分探しをしている若者にとっては、その全てが貴重な経験であり将来への糧であった。

『全てを見てやろう。』

それだけが大いなる世界を旅する衝動へと若者を掻き立てたのであった。

ピンク線:旅の初期
赤線:旅の本線
青線:パフォーマンス&ヒッチハイク旅

アジアからヨーロッパ横断

憧れだった旅は、最初は戸惑う事も多かったが、次第に慣れてくると心から楽しめるようになっていった。

バスでの移動や、ボッタくってくる人々との値段交渉、美味しいローカルフードの発見、他の旅人との出逢いと別れ。旅先で恋する事や、その地に未練を残す事、また思い出深い経験をする事もたくさんあった。

衛生状況が良くなくお腹を壊す事もあったし、病院へと行った事もあった。マラリアで入院もした。

体調を崩すと精神的に弱まりホームシックになる事もある。
それでも前へと進んでいけたのは、やはり若さと好奇心の賜物かもしれない。

しかし何より、仲間の存在だ。ひとり旅といえど、そのほとんどは誰かと一緒にいる。旅先で出逢う同じような志を持った旅仲間との出逢いは格別だった。

インドでは、マザーテレサの家で一ヶ月に渡りボランティアをした。
街は貧困と物乞いで溢れ、自分たちに出来ることって何だろう?まだ20代前半だった自分と仲間たちは毎晩のように語り合った。

マザーテレサの家・ダイアダンにて-2006-

キルギスでは、日本語を学ぶ現地の学生達と出逢い、この国の現状や、将来の夢について語り合った。合唱祭が近くあり、日本の歌を歌うとのことで特別に一緒に壇上に上がり歌ったりもした。

今や日本でもお馴染みのケバブを知ったのもここの国だ。

またトルコで、イギリスで、ギリシャで、さらにエジプトで、モロッコで、スペインで…。出逢いや発見の日々は、自分に世界の広さを思い知らせ、感性をとことん磨いてくれた。

冒険の地アフリカへ

アフリカでは、自身の人生の総清算をするような深い旅となった。

ここで自分は一度死んだ。
そのように感じたし、自身の弱さを受け入れた時、そこから全てが変わりだした。

パフォーマンスと出合ったのもここで、上へと目指すきっかけを掴んだのもここだった。

髪を切り丸坊主にした。着る服の色を今までと真反対にし、明るい色を選んだ。

そして無いものをねだるのではなく、今あるものを大切にした。

大いなる存在を感じ、全ては完璧なまでの調和を兼ね備えて進んでいった。

僕はずっと探していたものを見つけた瞬間だった。

〜アフリカ冒険記〜

パフォーマンス&ヨーロッパの路上

アフリカにてパフォーマンスを学ぶと、その後は再びヨーロッパに戻り新たな挑戦、ストリートパフォーマンスを試しだした。

『路上には全てがある。』

そう悟ると、ヒッチハイクにも挑戦し、御縁に任せヨーロッパ中を駆け巡る。

しかし決してそれらは簡単なことではなかったし、自分はもともと恥ずかしがり屋であった。人前に立つのは最初ものすごく抵抗があった。

しかし、やっていく内に気付いたことは、人は決して技の上手い下手で足を止めているのではなく、その人の人間性を見て足を止めているということだった。またヒッチハイクに関しては、波長の法則を深く実感したのだった。

そうして出逢う人々は愛に溢れていて、このヨーロッパの旅を通して、人間と心というものをより深く学ぶ事となったのだった。

イタリア滞在

ヨーロッパ一周の旅を終えると、僕の御縁はイタリアへと向いた。

再び戻る形となったイタリアだったが、そこには新たな決意があった。

イタリアとの出合い

この旅はそもそも、親に資金を出してもらい大学の代わりに行かせてもらっていたものだった。

大学に行く代わりに世界を旅して人生を学んでくる。
父親の理解があって成し得たことであり、僕はこの旅の事をこう呼んでいた。

『人生大学』と。

その人生大学を卒業する為に、僕は与えてもらっていた四年間という期間を使って様々な経験から学び、挑戦、考察を繰り返してきた。

そして、その最後の年であるこの時、僕はイタリアへと戻る事を決めたのだった。

それは、今までの「動く旅」から「住む旅」へとシフトして。

住む事をすると、また今まで一過性で通過してしまい見えてこなかった景色が見えてくる。自分の成長とともに、旅のスタイルも変えていこうと思ったのだった。

そしてこの時、僕は三つの卒業課題とも言えるものを自分に課した。

それが、

・言語を覚える事
・家族と呼べるような仲間・友達を作る事
・イタリア人の彼女を作る事


今までの自分ではこれらは到底難しかった。

しかし、アフリカ旅やヨーロッパヒッチハイク旅を通して大きく成長した今の自分ならば出来るのではないか。

僕はこれらを持ってして、この旅を通して自分が確実に成長したのだという証を立てることにしたのだった。

これらの内容はブログ、イタリア編にて〜

日本に帰国〜今後のビジョン

旅をしてきた者の使命の一つに’’伝える’’事があると思う。

この世界を見てきた者の責任としてそれを伝え、世の中に貢献していきたいと思う。

今世界では、お世辞にも平和で皆が幸せに暮らしている、とは言えない状況が多くの場所である。

それらは、宗教的対立だったり、多数が少数を迫害していたり、積み重なってきた歴史が遺恨となり複雑に絡まり合ってしまっていたり、または単純にエゴだったり、地位やお金の為だけだったりする。また地球環境の悪化も深刻だ。

自分の使命の一つは、それら見てきた世界を伝える事にある。

その先にあるのは、やっぱり世界平和だし、一人一人の平安だ。

実際のところ、社会が平和だからといって、その人が幸せだとは限らない。
ではなぜ日本社会でもこれだけの問題や事件、自殺が起きているのだろう?

物質主義や拝金主義、経済第一主義が横行し、生きづらい世の中である事だけは確かだ。

世界で生きる人々の価値観、人生観を知って、今生きづらいと感じている人に少し別の視点からの見方を知ってほしい。

これが全てではないという事を。

そして生きるという事に喜びと、楽しさを大きく感じてもらいたい。

一人一人が明るく喜びに満ちれば、それが結局はプラスの波動となって社会を巡り、国境をこえポジティブな人間の社会を生み出すから。

地球は本来、青く美しい星のはずだ。緑豊かで多様な生物、四季折々、大自然に恵まれたとても住みやすい愛の星。

どう選択し行動していくのも僕らの自由。それが神の与えた自由。

この美しい星と共にいつまでも歩める事を願って。

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