ヨーロッパ編バスキング&ヒッチハイク旅 #2「アムステルダム」

アムステルダム目指して

ロンドンから30分。

さすがに飛行機だと早い。僕らはオランダ南部にあるアイントホーフェン空港に着いた。

そこからヒッチハイクでアムステルダムを目指す。

ゆうきにとってここは、アフリカに行く前に1年間住んでいたという思い出の地だった。

ボクにとってはアフリカに行く前に一度だけ訪れたことがあった。

とても情緒があり、すぐに好きになった街だった。

アムステルダムへ

前回までのあらすじ

アフリカから帰国したボクとゆうきはロンドンへと飛びそこでのぞみと再会した。

これから始まる新たなヨーロッパ旅に備えて準備をし、そしていざアムステルダムへとやってきたのだった。

コミュニケーションの取り方

僕らはその日、夕方になりアムステルダムへと着くと、そのまま彼が昔働いていたというホステル(ゲストハウス)へと向かった。

アムステルダムの特徴的な街の造りは何度見ても美しい。運河が網の目のように張り巡らされ、高くそびえ立つ教会の塔にその独特のデザイン。

リカちゃん人形の家のような家々は見ているだけで愛着が沸くが、どれも少し傾いているのがボクにとってはツボだった。

アムステルダム街マップ

街外れにVondel parkという大きな公園があり、ゆうきの働いていたというホステルはその脇にあった。

友人らはみんな今公園にいるらしく、僕らもそのまま公園へと向かうこととなった。

多くの友人の中にいて

日も少し傾いた薄暗い公園の芝生、そこには20人近くの人の姿があった。

ゆうきは背負っていたバックパックを放り出すと、久しぶりに再会する友人らと叫び熱い抱擁を交し始めた。みんな気さくに彼と会話を始め、彼もとても嬉しそうだった。

なんてったって、アフリカ帰りである!みんなも待ってたぞ!という感じだった。

 

ところで前にも書いたが、ゆうきは6歳の頃からカナダで育った生粋のバイリンガルだ。

英語の発音はネイティブのそれと変わらない。もちろん日本語もとても上手だ。

しかし彼の一番日本人のそれと違うところは、彼は全く恐れないところだった、白人の中に一人で入っていくことも。そしてその中でずっと一人でいることも。

 

白人恐怖症?

これは潜在的にボクの中にあったものだ。

いや、日本人の中にあるのだろうか?

他の日本人の方々がどこまでそれがあるのか分からない、また世代によってもちょっと変わってくるかもしれない。

けれど少なくとも、昭和の終わりかけに生まれ、平成初期〜中期の義務教育とその日本社会を経験してきたボクにとって、外国人(いわゆる白人)は珍しい存在であり、日本社会の中で接することはほぼなかった。

そしてアメリカという存在の大きさや憧れ、その立ち位置。

日本の全てはアメリカを基準に存在していた気がする。

それは誰かがそんなことを言ったわけではないが、無意識のうちに根付いて行った感情と感覚だった。

 

他人のせいにするわけでは無いが、ただ、ボクにとって、白人の人たちと接するというのは、潜在的に『壁』があったのだけは確かだ。

今まではそれを彼らの前で認めるのが悔しくて、何事もないふりをして接してきた。

けれど、今ならわかる、自分の本心が。

ボクは彼らを恐れている。

それは、事実だった。

 

そんな中、数十人の白人の人らと一気に交流をしないといけないというのは、正直ボクはどうしていいか分からなくなった。

そして肝心のゆうきはそんなこと露知らず…、自らの友人らと話すのに夢中だった。。

 

けれど、こんなところで泣き言言っている場合じゃ無い。

そんな事は彼らの問題ではなく、また少なくとも今、彼らの敷地の中に来たのも自分だった。

ボクは落ち着いて、近くにいた人たちに挨拶することから始めたのだった。

 

名前を覚えることは友達になる一番の近道

次の日から、僕らのアムステルダム滞在が始まった。

ゆうきが以前働いていたフライングピグという名のホステル。

彼はそこに併設されているバーで働いていたらしい。

そしてそこで出逢った仲間らとルームシェアをして1年間住んでいたとのことだった。

 

ここはさすがに世界に名を馳せるアムステルダム、様々な若者らが世界中から集まって来ていた。

一番多かったのはオーストラリア人。そしてイギリスやスコットランドからも。他にニュージーランド、フランス、イタリア、ノルウェー、デンマーク、スウェーデン、イスラエルなどからみんな来ていた。

アムステルダム

ボクは積極的に、彼の友人に接するようにした。

壁を作っているのは自分だ。なので、それを壊すかよじ登るかは自分でしなければならない。

少なくとも自己主張しない分には、何も物事は進まない。

 

しかし何を話していいか分からない時は多い。またボクは英語もそこまでしっかりと理解できるわけではなかった。

けれども、できることはある。

それは、「挨拶」だと考えた。

ボクは初めて出逢った人には必ず自ら先に挨拶するようにした。

そして相手の名前を聞き、必ず覚えるようにした。

 

その後の会話が続かなくても、その覚えた名前を毎回挨拶するときに一緒に付け加えた。

例えば、Mike(マイク)という友人がいたとして、

「Good morning Mike!」や「See you tomorrow Mike!」

なんて。

 

ときに、何十人も1日に出逢う事になる。

それでも全員の名前を覚えて、事あるごとに名前を付けて彼らと話すようにした。

 

するとどうだろう?

一緒にいて時間がまだ浅いので、みんなとの信頼関係がまだ築けていないと思いきや、それでもみんなボクの存在をしっかりと認めてくれるようになっていったのだった。

笑顔で接してくれたり、お酒や食べ物をシェアしてくれることも増えて行った、まるで友達にするかのように。

 

覚える努力をすること

正直、ボクは記憶力がそんなにいい方ではなく、名前を覚えるのは苦手だ。

しかし、これは意識の変革だった。

アフリカでパパジャーという多くの人から尊敬されているある老人と出逢うことがあった。

彼は多くの人に会い、忙しい人でもあった。

ボクは、『人の名前を覚えられますか?』と聞いた。

その後彼が言った言葉がボクの胸に響いた。

『覚える努力をするんだよ』と。

たった一言だったが、それは重く説得力のある言葉だった。

 

そうか、ボクは覚える前から無理だ、と決め付けていた。

そこの意識の変革は大きかった。

 

それ以降ボクは、人の名前を覚える事にした。

しかし自己紹介をして名前を交わしても、忘れてしまうことは多い。

その時は、ためらわずに相手に聞き返した。

忘れたままでいるよりかは、聞き返してでも覚えた方が親身だと思う。

例え、一期一会の出逢いの中でも。

 

そして聞き返すのも自分の中でルールを定め、3回までとした。

3回聞いても覚えられない時は、ペンで手に書いた。

これは結構な効力を発揮した。

手の甲が名前だらけになった時もあったが…笑

 

こうしてボクはゆうきの周りにいる友人らの名前をすぐに覚えていった。

そしてこれはその後の旅の中で、大いに役立つコミュニケーションスキルとなっていったのだった。

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アムステルダムでの時間

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