飛行機は夜中にガーナを飛び立った。
僕らが半年の時間をかけて進んできた道のりもわずか6時間ほどでまるで何事もなかったかのように舞い戻ってくれた。
久しぶりのヨーロッパ。文明社会へと戻れる嬉しさ、そして同時の込み上げてくる不安。
旅は次のステージへ。
この半年間を走馬灯のように思い出しながら、朝日を見つめつつ次に始まる冒険の予感に胸を震わせた。
◉今までのあらすじ
世界放浪の旅に出た自分。ユーラシア大陸を超え、イタリアで半年間住み込みで働き、その後はアフリカへと突入した。
道中、大道芸人の雄生(ゆうき)と運命的に出逢い、共にアフリカを旅する。インドで出逢った望(のぞみ)も加わり3人となった。
アフリカを旅する中で自分も徐々にパフォーマーとしての道を歩み始めていくのだった。
目次
ロンドン
翌朝、僕らはマイナス2度のロンドンの空港に立っていた。
寒い。。。
4月なのに、こんなに寒いなんて。
灼熱のアフリカの大地から来るとこのギャップは相当堪えた…。
この後のとりあえずの行き先はのぞみの家だ。一足先にロンドンに戻っていた彼女が僕らを迎えてくれる。
彼女とは昼過ぎに会えることになった。
それまでの間、僕らは持てる限りの服を着込んで、ロンドンの街中へと繰り出した。
僕らはそこでストリートパフォーマンスができそうな場所を探した。
そうしてたどり着いたのが、ロンドンアイのある河川敷だった。そこはお洒落な遊歩道になっていて、家族連れで賑わっていた。
近くで音楽を奏でるストリートミュージシャンらもいた。
僕らはアフリカでやっていた感じでそれぞれジャグリングを始めた。
僕らはアフリカで学んできたことを早速試したのだった。
ゆうきはさすが上手だった。技術力も表現力も。僕も必死になってやった。
…しかし、分かってはいたがアフリカでやっていたような感じにはいかなかった。
アフリカでならばすぐに人が集まったり、子供も大人も好奇心たっぷりに笑顔で見入ってくれる。
しかし、ここでは人々は足早に通り過ぎたり、遠目からチラッと見ているだけだった。
人が冷たいとは言わない。
文明社会ではそんなものだ、というのは百も承知だった。
また、物珍しいものでもないし。
これを多くの人を集めて、パフォーマンスをするには、大道芸という形で演目的に作り上げなければいけない。
けれども、ゆうきも含め僕らにはまだまだそこまでの力はなかった。
これはその後近くの駅前でやっていた大道芸のショーだ。
これには、パフォーマンス技術以外にもさまざまな能力を要する。
僕らにはまだまだ難易度が高かった。
のぞみとの再会!
昼過ぎに指定された場所へと行くと、のぞみと無事合流することができた!
およそ3ヶ月ぶりの再会だ。
ガーナで別れて以来の僕たちの姿に、彼女も喜んで迎えてくれた。
そのまま彼女の住んでいるアパートへと案内してくれ、僕らはそこで荷物を降ろすことができた。
のぞみはよくデイビットの話を旅中にもしてくれていて、彼女がまだ日本を出たばかりの頃、マレーシアで出逢った運命の人だった。
僕がのぞみと初めて出逢ったインドや、またその後に再会したイタリアにいた頃もずっと付き合っていた。
アクティブなのぞみをいつも支えているデイビット。相性が合うようで仲良しの2人だった。
僕らもこのとき初めてデイビットと会った。僕らにも優しくて気の利く人だった。
僕らはその後近くの公園へと行き一緒に遊んだ。
彼女らが住んでいた一画は、ロンドンの中でも移民者の多い地区らしく、確かに家の周りを歩いていると、よくアフリカ人や、アラブ人なんかを見かけた。
太っちょの恰幅の良い黒人のおばさんが歩いていたり、通りにも聞こえる大きな声で喋る人たち。
またさまざまなスパイスを売る店があったり、ネットカフェに、海外送金の店などが軒を連ねる。
喧騒としたエリアだったが、アフリカ帰りの僕にとってはとても居心地が良く、すごく親近感があった。
これもアフリカに行って学んできたものだろうか?と思った。
正直言うと、僕はアフリカに行く前は黒人やアフリカ人を怖く感じていた。
しかし、今、目の前にいる彼らに親近感を湧く。
これは確かなる自分の中での変化だった。
親愛なるニックとジェーミー
ニックとジェーミーは今回のアフリカ旅中に出逢った二人組の陽気なニュージーランド人だ。
マリのバマコで出会い、同じ宿だったご縁から滞在中はよく一緒に遊んだりしていた。その後ガーナでも再会し僕らは仲良しになっていたのだった。
彼らもロンドンに住んでいて、「いつでも俺たちの家に来い」と誘ってくれていた。
アフリカぶりに会う彼らは変わらず明るく僕らを迎えてくれた。
一軒家をルームシェアをしていて、家は広かった。
のぞみももちろん彼らとアフリカで出逢っているので、僕らはみんなで久しぶりの再会を喜んだ。
不思議なご縁にすごく感謝をした。
僕とゆうきのように彼らもコンビで旅をしていて、いろいろな共通点を感じる。
そしてこれだけ心を開いて受け入れてくれることに感動を隠せなかった。
これから始まるヨーロッパの旅。
その出だしとして、彼らとの再会は心を麗すたいせつな一時だった。
ガーナでもよく歌われていたボブ・マーリーの歌の一節を僕はよく思い出す。
Good friends we have, oh, good friends we’ve lost
Along the way♪no woman no cry
-進む道の途中、良き友と出逢いそして別れる。
これは今後の僕の旅の中で繰り返されるフレーズだった。
新たな旅に向けて
ロンドンには合計一週間滞在した。
僕は、その間に、ヨーロッパで必要な道具を取り揃えた。
具体的には、バックパックを買った。今までの僕はバックパックを使ってこなくて、ミニマリストのごとくかなり少ない荷物で旅をしていた。
しかし、自分の目指すべく道と出逢ってからそれは変わった。
ジャグリングやバルーンなどの道具は重く嵩張る。
しかし、それは僕の夢だった。
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また、今まで道具は全てゆうきの物を借りていたが、ここロンドンの有名なジャグリングショップ《odd balls》に行くと、僕は自分の道具をすべて買い揃えたのだった。
ある出逢いの日本人女性
出発の前に、僕は一人で電車に乗りロンドン郊外へと向かった。
そこには一人、日本人の友人が住んでいた。
彼女とは、僕が初めてロンドンを訪れた一年半前に(その当時から)、ロンドンのあるユースホステルで出逢った。
彼女はイギリス人の婚約者がいたが、彼無しに一人でイギリスに来たのは初めてらしく、電車や電話の掛け方も分からずに困っていたところを僕が手助けしたのが出逢いのきっかけだった。
聞くところによると、日本での仕事が忙しすぎて(その時は歳末だった)彼に連絡が疎かになると、彼と向こうの両親は激怒して婚約破棄されてしまったらしかった。
その為に彼女は慌てて一人で現地にまでやってきたのだった。
その後は、無事に彼の元へと旅立って行ったのであったが、それから一年半後の今、僕は再びロンドンへと来た。
彼女へと連絡をとってみると….、
なんと!
可愛い小さな赤ん坊を抱いていた。
「ハナ」と名付けられたその子は、まさに愛の天使のごとく二人の間に存在していた。
彼女は田舎にある少しオンボロの古家に住んでいた。
けれど僕が今まで見てきたどんな家庭にも負けないくらいの愛のエネルギーに満ちていた。
一泊させてもらい、とても気持ちの良い滞在となった。
旅立ちの夜
僕とゆうきはオランダ行きの飛行機のチケットを買った。
次に目指すはアムステルダムである。そこはゆうきがアフリカに行く前に住んでいた場所だ。
僕たちは、ニックとジェーミーに別れを告げた。
そしてのぞみとデイビットは最後の最後まで僕たちのことを気遣ってくれていた。
温かい家、いろいろな友人も紹介してくれた。料理好きで社交的で情脆いのぞみ。
今回ここで再会できたことは、僕たちの共有する大切な歴史の一ページとなった。
再会をする楽しみがある。だから僕たちは別れられるんだなと思った。