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バスは遠くの地に灯を認めた。
おぼろげながら、あれは街の灯だ。
小さく頼りなくゆらゆらと灯るその光は、しかし今まで通過してきた街の何倍もの規模だった。
あれを首都と言わずになんと呼べるだろうか。
遥か昔にセネガルのダカールを発ってからおよそ60時間。
僕らはようやくゴール地点へと辿り着いたのだった。
乗客たちも喜びの顔を隠せずにいた。街の中心地に着くまでの間に停留所で一人、また一人と嬉しそうに降りていく。そこには家族が迎えにきていたりしている。
最後にバスターミナルに着く頃には、車内もガラガラとなっていた。
無事に着いた。
涙が出そうだ。僕らは心から喜んだのだった。
目次
バマコのキリスト教系宿泊施設
疲れていたはずなのに、宿へと着くと元気が出てきた。
ここはガイドブックで紹介されていた場所で、キリスト教カトリックの運営するホテルだった。
白装束をまとったシスター達が笑顔で迎えてくれ、部屋へと通された。
普段は信者用なのだろうか、ドミトリールームがあり旅人向けにも紹介されていた。
キリスト教系の施設として有名なのは、YMCAだろう。世界各地にあって誰でも泊まる事ができる。
スリランカで一度泊まった事があったが、そこは洋館みたいな場所でまるで映画にでも出てきそうな場所だった。
ここの施設はバマコの街中にあり、周りと一緒でパッと見は普通の建物だった。
中もよくある感じの安宿風だった。
地元民か黒人の方々の集団もいて、それなりに賑わっていた。
そしてここではニュージーランドから来ていた男性2人組と、フランスから来ていた女性2人組のバックパッカーと出会った。
旅人と出会えるのは嬉しいし、こんな僻地になってくると尚更だ。
僕らは60時間かけてきた分、バマコに着けたのが嬉しくて仕方がない。
しばらくここで羽根を伸ばすことにした。
黄金の都バマコ 、その由縁
バマコの街は今まで見てきた街の光景とはまた少し違っていた。
街はとても大きくて広い。区画整備がしっかりとされているが、しかし道はアスファルトではなく、土の所が多い。乾燥した気候のため土埃がよく立つ。
人も車も多くて喧騒に包まれる。
マリはその昔、栄えに栄え、マリ王国といえば西アフリカ一帯を支配していた巨大な国だった。
その全盛期が13世紀にこの地を統治した王「マンサ・ムーサ」の時代と言われている。
彼は世界史の授業でもその名が出てくるほどで知っている人もいるかもしれない。
その名を有名にしたのが、彼の行った聖地メッカへの巡礼の旅だった。
5万とも10万とも言われる家臣と奴隷を引き連れ、金の延べ棒を現在の価値にして、35兆円相当分を持って旅をし、訪れる先で惜しみもなくそれを喜捨したとある。
資産額としては後にも先にも人類史上最高である。
その凄まじいほどの量から当時のエジプトのカイロで金相場が崩れ、その後10年間は戻らなかったと言われている。
またヨーロッパにアフリカには金が大量にあると知らしめ、黄金伝説を作らせた程だったそうだ。
特にその中でもマリ北部の街トンブクトゥは有名で、サハラ交易の主要地点だった。そこに多くの商人が訪れ、物資が行き交った。
マンサ・ムーサは多くのモスクや施設をトンブクトゥに造り文化の中心としての役割も果たすようになっていった。
さらに文明の進んでいた中東や北アフリカなどからイスラム法学者、天文学者、占星術師などを呼び寄せ、アフリカで初めての大学もトンブクトゥで誕生したと言われている。
しかし王国は徐々に衰退していく。盛者必衰、時代の流れか。
マリ王国は周辺国との戦いでその領土を失っていくと、小国として細々と続いていき、18世紀には滅亡してしまう….。
その後は様々な勢力によってこの地に国が興るが、最終的にヨーロッパからやってきた強敵には敵わずフランスに制圧されてしまう。
その後はフランスの統治下におかれ、1960年に独立し、マリ共和国として現在に至るのだった。
バマコのアーティストヴィレッジへ
宿の前には小洒落たバーがあってそこには地元の人たちがよく飲みにきていた。
僕らはその中で「チョー」というおじさんと知り合った。僕らはそこで毎日のように顔を合わす度に仲良くなっていた。
彼は絵描きらしく、バマコ郊外の山にギャラリーがあり、是非見に来ないかと誘ってくれた。
同じく宿で仲良くなったニュージーランドからの旅人ニックとジェーミーも一緒に見に行くことにした。
山の中を道草をしつつ歩いていくと、道路に出た。
そこには集落が点在し、その中の一画に彼のギャラリーはあった。
さらに案内されて進むと、先ほどの乾燥していた大地とは打って変わって、緑豊かな素敵なコテージが現れた。
そこにはフランス人の女性達が何人かいて、染物をしたり、服などを作っていた。
ここはどうやらアーティストの住むコミュニティーでもあるようだ。
ここでは時間がゆっくりと流れていて、市内の喧騒からも離れ気持ちの良い場所だった。
現地の人々の生活、そして自身の葛藤
バマコには合計10日間ほど滞在した。
周りから奇異の目を向けられることにも慣れ、子供達は好奇心一杯に触れ合ってくる。
我々の肌は彼らと比べ明るく、とても目立つのだ。
異国の者であるにも関わらず純粋無垢に、閉鎖的になることなく楽しそうに接してきてくれる彼らといるのはとても楽しかった。