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【海外恋愛と語学】愛があれば言葉はいらないとは本当か?

イタリア大恋愛

突然ですが、皆さんは海外での恋愛経験はありますか??

どこの世界でも日々を暮らしていればさまざまな出逢いがありますよね^^

海外だから億劫に感じてしまう人もいれば、逆に海外だからこそそんな出逢いを楽しんでいる人もいたり。

今回は、海外という視点から言葉についても織り交ぜ、題して「愛があれば言葉はいらないとは本当か」について探っていきたいと思います。

これは僕の実体験をもとにしています。

今回もまた少し、お付き合いくださいませ^^

イタリアでした一目惚れ

それは突然の出来事でした。

当時住んでいたローマ。

有名観光地にあっていつも僕が通っていたバイト先。

そこにある日、彼女は現れたのです。

僕のお店の近くで働きだした彼女。

僕の仕事は、店先に立ちお客さんを中へ呼び込む事。

彼女もまた同じように自分の店先に立ち、お客さんを呼び込む仕事をしていました。

そうやって僕らは最初知り合いました。

ローマにある有数の観光地「スペイン階段」

ローマにある有数の観光地「スペイン階段」

初めて見た時から「可愛いな、すごくタイプだな」と思っていたけれど、その日が終わる頃には、僕の心はすっかりと彼女に奪われていたのでした…。

 

だって、笑顔が素敵で可愛らしく、小柄で美しく佇むその様はまるで天使のようでした✨

 

こんなにも美しい女性がこの世にいるなんて!!

もっと見つめていたい。

もう平常心ではいられない。

なんという事だろう!💕💕💕

 

僕は心の奥底からのトキメキを感じ、彼女の事が気になって仕方がなくなりました。

おかげで仕事には集中できなかったけれど、けれど同じ空間で共に過ごすその瞬間は幸せでありました。

 

それから、そんな日々をしばらく過ごし、バイト先に行くのは僕の大きな楽しみになっていました。

すれ違いざまに目が合う、些細な事だけれどそれが何よりも嬉しかったです。

「いつかデートに誘いたい」、そう思う一方、恐怖に感じる自分もいました。

しかしそんなある日、彼女はパタンと仕事に来なくなってしまいました…。

何日過ぎてもやってこない彼女。辞めてしまったのかな??!!

 

これには焦りました。もう二度と会えないのかという後悔と絶望。神様にもう一度だけ会いたいと切に願ったのでした。

失敗しても、やらなかったという後悔だけは絶対にしてはいけない。それを痛感して学びました。

 

するとそれから1週間ほどして、再び現れた彼女!!!!

「わぉっ!!」

これは天にも登るような気持ちでした。そしてこのチャンスを逃してはならないと心に覚悟を決め、ついに行動を起こしました。

連絡先を聞いてデートに誘ったんです!!!

はにかみながらもしっかりと連絡先を教えてくれた彼女。

嬉しかったです☆^-^

しかし、そして知りました、….彼女はまったく英語が喋れない事を!!!

(僕もこの時はまだイタリア語を喋れません。)

初めてのデート

ローマの公園

ローマの公園

初めてのデートは公園に行った。

下手に人が多いところや、お店などに行くと、ただでさえ言葉が分からないのでお互い困惑すると思ったからだ。

静かなところでゆっくりと話したい。(話せないが…)

 

こうして僕らは公園に行き、ローマが一望できる高台に辿り着いた。

彼女は言葉が喋れないのに一体どうするのよ!と終始そんな感じだったが、僕はどうにかなる、大丈夫大丈夫と言い続けた。

と言っても僕としてもやはり今のこの状況下で沈黙が流れるとまずいと思い、常に何かを必死に喋っていた。

とりあえず勢いのみだった。

知りうる限りのイタリア語や、簡単な英単語を混ぜたりして会話のネタを探した。

僕はただ彼女を楽しませる。それだけに注力していた。

そして高台に腰を下ろすと、僕はおもむろにカバンを開けた。

そこから日本から持ってきていたひみつ道具を取り出した。

ただ〜ん!

旅の指差し会話帳「イタリア語」

旅の指差し会話帳「イタリア語」

僕はページを開いて行き、目に留まった適当な質問を見つけ、それを指差し彼女へ見せた。

そこには、

『あなたの出身はどこですか?』

『好きな食べ物はなんですか?』

『兄弟姉妹はいますか?』

『何を勉強していますか?』

などの基本的な会話のフレーズが載っていた。

目を見れば分かる

彼女はその書かれている文字を見て、イタリア語で喋って返してくれた。

『出身は南イタリアの小さな街よ』とか、

『お姉ちゃんが一人、弟が一人いるわ』

といった感じで。

 

もちろん正確に何を言っているかは分からないが、それでも目の前にいる相手の目を見て、必死になって聞いていると、分からないはずなのに、何を言っているか分かるのである。

これは人間に備わっている不思議な能力のような気がした。まるで一種のテレパシーのようにさえも感じ得た。

感覚を研ぎ澄まして、相手の目を見て、心を感じる。

そうして過ごすうちに、不思議と会話だけでなく僕らの距離も自然と近づいていった。

僕はまた辞書も見ながら単語を繋げていって言葉を自ら作った。そうして片言で自己紹介をし彼女とお喋りした。

 

日が傾きかける頃には、僕らはすごく親しくなっていたし、お互いのいろいろな事も知った。

別れる時にはハグをした。

ぎゅっと優しく力強く抱きしめた。

温かい。

この上なく温かい。

僕にはただ愛おしい気持ちでいっぱいだった。

ずっと抱きしめていたかった。

ローマ一望

ローマ

言葉の勉強のしかた

こうして僕らは徐々に近づいて行き、デートを何度か重ねる内に唇を交わし、いつしか恋人となっていった。

その間も僕は言葉を必死になって覚えた。

彼女と話したかったし、もっと知りたかった。

そして常にフラれてしまわないかという不安もあった。

喋れないことにより彼女がストレスで疲れてしまうのではないかと心配した。

だから一生懸命勉強した。

 

メールをする頻度も増えていって、毎日送り合った。次第に文量も増えていった。

慣れない言葉を、その文章を解読するのにはいつも一苦労だった。

けれどもそこからたくさんの単語や文法を学んでいった。

そして持ってきていたイタリア語の文法書や、インターネットなども見たりして、独学で勉強していった。

 

イタリア語MEMO

ここでちょっとイタリア語イロハを!

英語って実はとっても簡単な言語なんです!それは他の言語をやると分かりますが、ここではイタリア語を例に文法をちょっと見ていきましょう。

例えば時世を表すのに、現在形、未来系、過去形があると思います。イタリア語ではそこに半過去、近過去、遠過去、大過去なんてのがあります。

これはそれぞれ話しをする中で細かい過去の時世まで表現できるのだけれど、とにかく覚えることが多い…!

そして一番厄介なのは、動詞の人称変化です。

英語では三人称で1回だけ変化する。
それは’’s’’をつけるだけのシンプルなもの。「Like」が「Likes」になるように。

しかしイタリア語ではそれが6回変化をする…!(°_°)

それだけでなく、さらに未来系でも6回、過去形でも6回、さらに半過去やら遠過去でも全てで6回づつ…Orz

つまり一つの動詞につき何十個もの変化形の形を覚えなくてはいけないのです。

これは厄介極まりない…。

もちろんある程度の法則はあるけれど、しかし不規則なものは多く苦労は絶えない。

また女性名詞、男性名詞やら、英語にはない概念もたくさんあります。

故に、そういうのが全くない英語はとてもシンプルで簡単な言語と言えるのです。

これはイタリア語だけでなく、スペイン語やフランス語、ドイツ語やアラビア語など他の多くの言語にもあります。

愛があれば言葉は必要ないか?

日数が経つにつれて、僕と彼女の会話は次第に辞書を介したり、時間をそこまでかけなくても出来るようになってきた。

目に見えて成長していく僕の姿に、最初は懐疑的だった彼女も、信じられないといった感じでポジティブに僕のことを見てきてくれるようになっていた。

しかし、何度か絶望をお互いに感じたことはあった。

お互いに何が言いたいのか全く分からない時はあった。それは、2人で出かけた時や、くたくたで帰ってきた時など、お互いが疲れていた時などだ。

そんな時に些細な事で揉めてしまうと、言葉がしっかりと伝わればすぐに解決する事も、言葉がうまく伝わらないが為に、絡まった紐が余計に絡んでしまい解けなくなってしまうのだった。

誤解は話せばすぐに解ける。そう話せれば。

これはすごく人間的だし、しかし、日常を共に過ごしていれば絶対に起こりうる事だと思った。

 

つまり、何が言いたいか、愛があれば言葉はいらないか、についての僕の見解はこうだ。

一夜限りのLoveや、短期的な付き合いであれば、言葉なく情熱だけで過ごす事ができると思う。

しかし、付き合い、同じ環境下で多くを過ごす場合、2人の独立した人間である以上は絶対に言葉による意思疎通やコミュニケーションは必要不可欠である。

例えば、『今夜の夕食何にしよう?』という事でさえ、通じ合えなければそれがストレスとなる。

想像して欲しい、それが毎日だ。

目を見つめ合ってうっとりとしているだけでは、日常に起こる様々な問題は解決できないのである。

恋人としてうまくいく為には

彼女から学んだことは大きかった。

その後、僕自身の帰国もあり、それは若い青春の一ページとなった。

しかしその時の経験は、確実に今の自分を作る上での大きな土台となっている。

彼女を通して学んだのは、人間としての心や心理、真実の愛、そしてコミュニケーションの方法。

さらには、言葉が話せなかったからこそ学んだ事に、目に見えないものの大切さがある。

それはお互いの「エネルギー」「波長」などを感じるという事だ。

けれど、そう言うとちょっと難しいかもしれない。

これを表すのに、日本語にはもっと身近に馴染んだ言葉があった。

それは「気が合うこと」だ。

 

これは僕自身の一面からの見方ではあるが、友人関係でも仲良くなれる人というのは気が合う人だと思う。

もちろん男女間でもそうで、気が合うカップルというのは、2人でいてとても楽しそうだ。

その気が合うかどうかを簡単に知る方法は、まずその人を好きだなと思う心の感情があるかどうかだ。

そして実際一緒にいて、楽かどうかを客観的に見て感じてほしい。

もしあなたが楽と感じれていれば、相手も楽と感じている。

波動は共鳴する。それは心が通じ合っている証拠でもある。

 

手を握ったりハグをしたりして、温かみや体温などを感じれるのも気が合う証である。

逆に気が合わない、波長が合わない人とは、自然の摂理の問題からどうしたって上手くいかない。

お互いがお互いを尊重し合っているのになぜか空回りばっか。心が疲弊していく。


一つ注意して欲しいのは、「その人の事好きだな」という感情と「恋愛の好き」という感情はまずは別物として考えて欲しい事だ。

大切にしてほしいのは、前者の、その人の事好きだなという根本的な感情だ。

上記した「気の合う人」というのも、この前者にあたる。

また、例え今気が合わない相手でも、時間の経過と共にそれらは変わってくることがある。人間とは常に変わる生き物であるから。

最後に〜まとめ〜

自分にとって海外にいるということは、感覚を研ぎ澄ましてくれる。

それは単純に言葉が通じないからだ。

言葉が通じないからこそ、相手の目を見て、心を感じようとして、全身全霊でその人と向き合うこととなる。たとえ恋人でなくても。

しかし、母国語の環境にいると、その言葉は簡単に理解できてしまう。

それがいつの間にか、相手の目を見ないで会話をしていたり、何も感じようとしないで、脳だけでそれを処理してしまう。

それに慣れてしまうと、「波長が合うこの人!」という感覚や「テレパシーみたいに通じ合うなこの人」といった事なども信じられなくなり、人生が味気ないものになってしまう。

コミュニケーションの本質ってなんだろう?

言葉が不自由な中に身を置くからこそ、言葉だけに頼らないコミュニケーションの一端が見えてくる。

世の中に素敵な恋人たちが増えることを願って❤️✨

イタリアでの大恋愛

 

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