みなさんは虫は大丈夫ですか?
一部の方を除いて、多くの方は苦手ではないでしょうか?
かくいう自分も昔は虫がすごく苦手でした…。しかし海外での色々な体験から今ではあまり気にならなくなりました。
今回は、そんな虫とうまく付き合っていく方法を紹介したいと思います。
目次
虫との共存方法
虫とひとえに言っても様々な種類がいますね。
馴染みがあり愛着が持てるものから、気持ち悪いなと思ってしまうもの。また毒があったり危険なものまで。
世界には様々な虫がいますが、多くの国ではその虫達と上手く共存しています。
また食すと、意外と栄養価が高いということでも知られています。
さらに毒性の強い虫は、実はいい薬であり漢方になったりするものです。
日本も一昔前までは虫が家の中にいるのは当たり前で、それでいちいち大騒ぎはしなかったと思います。
しかし現代の家では密封性が高まり、また人のいる所と虫のいる所が完全に別れてしまっている為に、家の中で虫を見ることのギャップがまたその存在の不快感を高めているのだと思います。
だって山や森などに行って、近くで虫を見てもどうとは思いませんものね。
絶対の条件、殺すな!
家の中で虫を見た時の対処法ですが、まずその前提であって絶対条件なのですが、殺してはダメです。
極力、外に逃すようにしましょう。
当然ですが殺すというのは人間のエゴであり、自分勝手極まりない行動です。
普段とても優しい人なのに、虫を見ると即殺そうとする人がたまにいますが、それは人としてどうなのかと思います。
また殺虫スプレーを撒き散らす人も。それは人間にも猛毒であるという事を覚えておかなくていけません。
また力強く、屈強な男性の方でも、小さな虫一匹にキャーキャー喚き声をあげる方もいます。
これだけは忘れないでください。虫から見たら人間は何百倍も大きな存在であり、力の差は歴然。まともに考えたら僕らがキャーキャー言う話ではないのです。
虫は本来、隠れています。たまたま僕らが見つけてしまう時があるけれど、その時は見なかったふりをするのが一番賢明です。
なぜ殺しては行けないのか?
これは精神論になってきますが、しかし現実的にも的を得ています。
殺せば、必ず何かしらの因果が返ってきます。
状況はよりひどくなります。なのでまずは殺さないこと。外へ逃がせたら逃すこと。それが無理ならば放っておく事。勝手に消えていなくなります。
特に害のない虫だったり、小さな虫の場合はなおさら。
しかし厄介な虫が多いのも事実。
その時は彼らの嫌がる匂いやハーブを置くとか、侵入経路を塞ぐとか、また寝る時は蚊張を使うなどの対策を講じましょう。
またゴキブリなどには、まず家を綺麗にしゴキブリが寄り付かないようにすることも大切だと思います。
しかし今目の前にいて、どうしても外へも逃せられそうにないし、どうしようもない状況の時もあると思います。
それが害のない虫ならばまだしも、毒を持っていて、例えばムカデやスズメバチなどの危険な虫である場合も。
その場合はこちらの身を守る意味でも退治するのは仕方ないと僕も考えます。
なぜならば、この後にも紹介しますがその判断基準は、「攻撃」してくるかどうか、です。
(ゴキブリは直接攻撃はしてこないが、衛生的に汚く病原菌を運ぶ、という観点ではこちらの身を守る意味でも駆除の対象であると思います。)
アフリカ人の生き方
僕は以前、西アフリカのギニアという国で3ヶ月間、一般家庭にお邪魔してホームステイをしていた事があります。
とても貧しい国で、家は基本的にどこも泥の壁にトタン屋根。
隙間も多いので、家の中でも虫をよく見かけました。
停電が当たり前で、夜部屋でろうそくを焚いていると、どこからともなく虫が這い出てきます。その為に夜寝る時は蚊張の中に入って寝ます。
しかし大抵の虫は無害なのでいちいち気にせず、現地の人も放っておきます。
しかし例外を除いて。
それが、こちらに害をもたらしたり、攻撃してくるかどうかです。
例えば蚊。蚊は人間の血を吸い、様々な病気を媒介します。
WHO(世界保健機関)などの統計によると、地球上の生き物で人間を一番殺す生き物は「蚊」だそうです。
(かくいう僕も過去にマラリアになったことがある。マラリアは恐ろしい病気です。)
その為に、彼らは自らの命を守るために蚊は排除します。
そして僕が滞在中にずっと注意されていたのが、触れてはいけない虫。
特にお尻がカラフルな蟻がいて、それは絶対に触れるなと散々注意されました。
しかしある朝、目が覚めると背中の一部が真っ赤に腫れ上がりただれていたことが。
痛みはなかったけれど、何かの虫にやられたようです。蚊帳の隙間から入ってきたようです…。
ゴキブリは無害?問題外?
ある時部屋の中をゴキブリが飛んでいた。僕のお世話になっていた家の主人は、その手で飛ぶゴキブリを見事にパシッと捕まえると、「大丈夫だ、こいつは無害だ!」と笑顔で言い放ちそのまま外へポイ。
ゴキブリは衛生的に汚く病原菌を運ぶ害虫と日本では言われ忌み嫌われるが、そもそも衛生的にそこまで綺麗でないこちらの国では、ただの一介の虫に過ぎないようだ…。
僕はこの地で生きる強さを学んだのだった。(笑)
フィレンツェの山で遭遇したもの
ある時、僕はイタリアのフィレンツェの山に住む友人を訪ねて行ったことがあった。
その家は、もと酪農農家だったという家をリノベーションし、アトリエ兼住居になっていた。
僕はそこの敷地のもと納屋だった場所へと通された。
そこは6畳ほどのスペースで、ベットや本棚が並び、居住空間として改良されていた。
しかしその夜の事だった。
友人と団らんした後、寝ようと部屋に戻りベットへと横たわった瞬間、僕は今までに見たことのない物体がそこの壁に張り付いているのを見つけてしまった…。
真っ黒で握りこぶしほどの塊。
そして細長い足のようなものが何本も生えている…。
「蜘蛛だ!」
見たことのない種類だった。まるで真っ黒クロスケのような出で立ちだ。
しかし、でかい。。。
彼は、僕のベットのすぐ脇、1mほどの距離にいた…。
これは恐怖でしかなく、ある意味究極の選択だったが、僕はほっといてそのまま寝ることにした。
(というか、でかすぎて下手に刺激をあたえられない…)
しかし考えようによっては、ここに住んでいたのは彼が先であり、僕は後から来たよそ者だ。
またこういった不気味で気持ちの悪い虫ほど、神聖であると感じた。
きっとおそらく山の神様が姿を変えて現れたのではないだろうか??
いずれにせよ、下手に刺激を与えないほうがいいだろう。
このような感じ。(実物の写真を使うのは避けました)
その夜は恐ろしくてあまりよく眠れず、僕はベットの上で半分固まっていた。
朦朧とする意識の中、明け方に再び壁を見ると、その蜘蛛はいなくなっていたのだった。
そして次の日の夜の事だ。
今度は足元側の壁、天井近くに同じような、しかし昨日のよりも少し小ぶりの同じ蜘蛛がいた。
子供だろうか?
もし僕が昨日の蜘蛛に危害を加えていたならば、絶対に仕返しをされていただろう。そう思うとゾッとしたのだった…。
そして不思議と、最初のあの恐怖を耐えたならば、2日目以降はそれほど怖くはもうなかったのであった。
なぜなら、向こうも攻撃はしてこないと分かったからだった。
日本の山で
似たような経験は日本でもある。
高知県の山奥、そこの山小屋にしばらく住んでいた時のことだった。
住み始めた最初の晩、見た目のゴツい大きな蜘蛛が2匹キッチンの天井に付いていた…。
「オーマイガッ…」
フィレンツェの時とはまた全然違うタイプで、しかも見た目がかなりイカツイ…。
さっきまで綺麗に小屋を掃除していて、虫などは一切いなかったというのに…。
僕は絶望感に打ちひしがれ、溜息しか出なかったが、しかし放っておく事にした。
というか、それしか出来ない…、あぁ…。
するとまた翌朝にはその2匹は消えていたのだった。
どこへ消えたのだろう?
あのサイズの蜘蛛が通れる隙間など一見ないのに…。
虫というのは本当に不思議だ。
そして後日、その2匹よりもさらに大きな同じ種類の蜘蛛が、小屋の裏手にいた。
親だろうか?
僕は思ったのだった、『あぁ、きっとここの小屋の主だったんだな。僕が来てどんな奴か確認しに来たのだろう』と。
そしてもしあの時僕が攻撃をしていれば、必ず何か仕返しをされていただろう…。
それ以降、その蜘蛛たちを見ることは無かった。
自然に逆らってはダメだ。
それを身をもって体験したのだった。
カメムシの大量発生!?
日本各地でよく聞かれるのが、カメムシの大量発生だったり、何か特定の虫の大量発生だ。
僕は、一度てんとう虫の大量発生に悩まされたことがある。
可愛いてんとう虫も、それがおびただしい量になるとそんな悠長な事は言ってられなくなる。
これは確かに対処が難しい。
殺すなと言っても大量にいるし、群れで行動する分被害が甚大になる。
またカメムシであれば、大量にいるとすでに臭い。
一匹であれば、刺激を与えなければそう問題ではなく手に乗せても大丈夫。歩く速度も遅いので、上手く外へと出せる。
しかし、時にカメムシは大群となって、黒い塊となって、越冬するために温かい民家を目指す時がある。
僕の北海道の友人は、山の麓の古民家に住み、秋口、旅から戻るとカメムシに家が占領されていた時があったそうだ。
彼は、ペットボトルを半分に切ってカメムシ捕獲器を作った。
しかし、大量発生したそれは、家の壁が真っ黒になるまで覆い尽くし、家の中にも侵入し始めていた。しかもまだまだ森から大群を引き連れて行進してきている。
それは取っても取ってもキリがなく、また処理に困り、遂には捕獲したカメムシを燃やし徹底的に対抗した。
彼も必死だった。
そしてその内にカメムシに対する恐怖や偏見もなくなり、それを炒めて食べてみるまでになった。(不味くはないようだ!)
しかしそれでもその数十万の大群にはどうしようもなかった…。
その状況が改善されるまでに数週間は要したようだ。
結局、家をカメムシに乗っ取られることだけは阻止できたようだが、彼はボロボロとなった。
これは自然の脅威を目の当たりにした出来事だったと彼は後に語る。
他にも、ミミズが大量発生した事例を別の友人から聞いたこともある。
海外で歴史的に有名なのはイナゴの大量発生だろうか。
空を黒く覆うほどの量で移動し、通過した後の土地の農作物を食い散らかして行き、卵も産み付けていくという。
飲料水も飲めなくなり、その被害は甚大となる。世界では今でも起きているところがあるという恐ろしい現象だ。
こうなってしまった時、人間に出来る事はなく、ただただ、自然の脅威を目の当たりにするだけなのかもしれない。
それは、日頃僕ら人間が好き勝手にやっているしっぺ返しであるのかもしれない。
僕らはいくら進歩発展しても、自然や他生物と共に暮らしている、その事だけは忘れてはいけない事実なのだ。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
虫との対応には精神論かもしれないが、「自然界」を相手にしている分それは絶対だと思います。
また、仏教的な観念や、神道の八百万の神という考え方にもなってくるが、そうでなくとも殺すというのは極力避けたい。
殺せば絶対に因果応報ともなって巡ってくる。
子供に命の尊さを教える立場でもある大人が、不快だからと小さな虫一匹殺すのは辻褄が合わない。
犬や猫は殺してはダメで、なんで虫は殺してもいいの?と聞かれた時にどう答えられるだろうか?
少なくとも人間に害をもたらしたり、攻撃を仕掛けてくる生き物でない限り、僕らの正当防衛も成立はしない。
アフリカ人の知恵を借り、この世界を共に生きる同じ生き物として住み分けは行っても、支配はしたくないものだ。
それは、人間のエゴでしかないからだ。
それは、必ず先の事例のように人間へと返ってくるだろうから。