こんにちは、Yogiです!
今回は、ボクが3ヶ月間滞在していた西アフリカのギニアという国をテーマにお届けします。
まもなく人口過密問題を迎えるアフリカ。
そこでは人の命は軽く扱われているんでしょうか?
少なくとも僕は行く前まではそう思っていました。
しかしその実態とは…?
目次
ギニアという西アフリカの貧国
ギニアは、西アフリカのセネガルの下にある。
国土は決して小さくはないが、GDP(国内総生産)に関してはかなり低い。
この国は、ボクが訪れてきた中でもダントツトップに入る貧しさだった。
首都でも全体的にスラムみたいだし、ほとんどの住人が土の壁にトタン屋根を乗せただけの簡単な住居に住んでいた。
多くの家の周りは溝が掘られていて、そこを生活排水が垂れ流しされる。
色々なものが混じり、たまにぶくぶくガスも発生している。
衛生環境は決して良くないし、人々の意識も低い。
そこを小さな子供や、家畜たちが走り回りご飯を食べる。
こういう国は概して政治が悪い。政治家が権力争いばかりしていて、経済が回らずに国が発展できないのだ。
しかし貧しいのは可哀そうな事なのか?
皆さんはアフリカと聞いて何をイメージするだろうか?
色々な側面があるのは事実だが、一般的に、アフリカ=貧しいと思う人は多いと思う。
そして貧しい=可哀そう、悲惨とイメージしてしまう。
確かに彼らはとても貧しかった。しかし一概にそれが可哀そう、悲惨かと言われればそれだけに見えなかったのも事実であった。
人はどこでも楽しく生きている
なぜかと言うと彼らは総じてみんな明るくて陽気だ。
生活環境が大変なのは間違えないのになぜだろう?
その秘訣はどうやら彼らの生き方にありそうだった。
街を歩けば友達や知り合いはたくさんいて、みんないつも楽しそうに歩いている。
隣近所とも深く関わっているし、子供達はそこら中にいて元気な声が響き渡る。
そして信仰心深いし、子供は大人の言う事をよく聞く。
社会モラルがしっかりとあり、みんな規律正しく、礼儀正しいのだ。
意外だろうか?
また家の中を覗くと、どこも大家族で、親戚家族一同が共に助け合って暮らしている。
兄弟姉妹、いとこ達もたくさんだ。
貧しいので生活が大変な分、助け合わないと生きていけない。
そしてその分いたる所で人々の交流がおきていて活気が生まれているのだった。
ここは要は村社会だ。
しかし実はこれこそが人間、一番楽しく暮らせるのではないかなと思う。
家族、仲間が揃い、お金がなくても和気あいあいとしている。
どうやら、人は人がいればそれだけで楽しいようである!
逆にそれが断たれている社会、そちらの方が悲惨なのかもしれない…。
元気いっぱいな子供たち!
街を歩けばそこら中に子供達の元気に遊びまわる姿を見ることができる。
みんな変にませてなく、とても無邪気だ。
ボクが当時滞在していた頃、風船を作ってやるとそこら中から子供達が集まりだして、50人、100人とあっという間に囲まれてしまうのだった。
『命の重さ』
ある時、ボクはハッとさせられる出来事があった。
近所のあるお母さんが取り乱して泣いていた。
彼女の生後間もない赤ん坊が死んでしまったのだった。
彼女は、これでもかってほど喚き散らし我が子の名前を呼んでいた。
周囲の人もすごく悲しそうな顔をし、彼女に同情していた。
彼女はその後も数日間泣いていたようで、その顔はやつれ、目はすごく腫れ上がっていた。
ボクはそれらを見た瞬間に気づかされた。
紛争や病気、貧困が蔓延するアフリカでは人の命も軽く扱われているのかと思っていた。
また、乳幼児や子供の死亡率も高く、みんなそれに慣れているのかなとも思っていた。
しかし、恥ずかしながらそれは違った。
自らのお腹を痛めて産んだ母親にとって、我が子の死が悲しくないはずがない。
命の重み、与えられる愛情の深さは、どんな場所でも一緒だったのである。
新しく生まれる命
亡くなる命があれば、新しく生まれる命もあった。
ボクが滞在させてもらっていたお宅。そこにはお腹が大きくてまもなく臨月の女性がいた。
ある日帰宅すると、家族のみんなが「赤ちゃんが産まれたよ!!」と喜々としてボクに報告してくれた。
なんと家で出産をしていたらしい。
ベットルームに入ってみると、ちょうど産まれたばかりの我が子を入浴させるお母さんの姿があった。
その顔は幸せ一杯で、優しく我が子を抱き上げていた。
その感じがなんとも愛らしく美しい。
そばにいてそのエネルギーをもらい、僕も安堵してすごく幸せな気持ちになったのだった。
まとめ
子供は何人いれど、その一人一人が必ず誰かしらの大きな愛情によって育まれている。
貧しいのは大変かもしれないが、それが直接不幸とは限らない。
家族がいて、兄弟がいて、友達や仲間がいれば人生とは十分に楽しめるんだ。
そんな事を彼らは教えてくれた。
そこには、誰一人として欠けてはならない、大いなる愛情によって包まれた世界があったから。
それは日本でも、アフリカでも。どこでも一緒。
だって、それが人間というものだから。