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目次
山頂のタルチョ
バスは途中々々で走っていると、いくつもの山々を超えていく。
チベットの山々には必ずといっていい程、その頂上にタルチョと呼ばれる5色の旗がかけられていた。
これはチベットに仏教が伝わる以前より信仰されていたボン教に起源を発するそうだ。
5色の色は、天・風・火・水・地、の5大を表す。
旗に風の馬が描かれていれば仏法が風に乗って拡がるようにという願い。
経文が記されていれば風になびくことで経文の功徳が広がるとされる。
毎回山頂を通り過ぎる時は、このタルチョが目立った。
すごい高さにまでやってきた❗️
富士山より高い!!
ここまで来るとさすがに空気は薄くて、何もしていないのに呼吸がはぁはぁしていた。
バスに揺られて
その後もバス旅は続いた。
海抜5000mを通過したと思うと、一気に下りに入る。しかし常に高原地を走り続け、海抜3000mより下回ることはなかった。
ここでは木々は生えることなく不毛の大地。空気は薄くて肌寒い、乾燥した気候と強い日差しが肌に突き刺さる。
けれど太陽が出ていたと思ったら、すぐに曇ったり、粉雪も降っていた。ちなみにこの時の季節は5月だ。
舗装されている道もあれば、未舗装で凸凹のひどい道もあったり、そんな時はバスは大きく揺れ頭を窓にぶつけもした。
バスはこういった過酷な道を走れるように車高も高く、なかなか頑丈に出来ていた。
そんな中一番怖かったのは、崖沿いを走る時だ。
ガードレールなんてものはなく、ギリギリのところをバスは走った。一回事故現場を通り過ぎると、バスの乗客たちが一斉に崖下を見ろ!と言い騒ぎ出した。
そこには転げ落ちてしまったのか、バスが大破して横たわっていたのだった…。
進行方向をみると、そんな道ばかりだった。ドライバーを信じるしかない。
けれど、対向車が来たらどうするんだろう??
バスはその後何度も山頂を通過していった。
過酷さ、文化の違い
周りの乗客やドライバー達は英語が喋れなかった。休憩後の集合時間など、最低限会話が必要な時は近くの人と筆談をしていた。
たまに検問所があり、検察官が車内に乗ってくる。その度に僕には緊張が走った。ここでバレたら強制退去になってしまう…。僕は日本人も中国人も黙っていれば見た目には分からないので、ひたすら沈黙して中国人の中に紛れ込んでいた。
夜になると、バスは毎回どっかの村の停留場に止まった。そこで、’’明日は何時に出発だ’’とドライバーが言うと、みんな頷き何処かへ散っていった。
その場合は僕も近くにホテルを探して泊まった。片田舎のホテルは汚いところが多かった。ベットのコイルが伸びきっていて、腰を下ろすと深く沈み込んでしまうような…。
それでも足を伸ばして寝られるのは嬉しい。
しっかりと休み、そして次の日にはまた朝からバス旅が続くのだった。
この旅で一番辛かったのは、バスに何日間も乗り続けることでも、高山による呼吸の苦しさでもない。
それは、周りの中国人達の汚さだった。
「中国人は…、」という言い方はしたくないし、一つの文化でもあるが、しかしとにかく汚かった。
面白い文化にも見えたのだが、彼らはお菓子を食べた袋などをバス車内の通路に捨てる。
それだけならまだいいが、バナナの皮などの生モノもそこに捨てる。
その時点で日本人ならば絶対に有り得ないはずだ。
しかし彼らはそれだけに治まらず、彼らのよくする’’痰吐き’’、つまりツバをペッてするような事も、車内の通路にするのだった。。
これには意味がさっぱりわからなかった。
さらにまだ言うと、特に男性はタバコを吸う。当然灰も吸い殻もそこへポイッとする。
またこれは良い文化にも見えるが、一人がお菓子を食べ始めると、みんな必ず周り近所へもおすそ分けをする。
タバコにおいても同じで、一人が吸い始めるとみんなに配り始めるので、車内で一斉にモクモクと煙が立ち、吸わない人からしたら大迷惑であった。なのでみんなよく吸っている。
(しかしこれは日本においても昔はそうだったのかもしれない。)
そんな訳で朝から乗って夜になる頃には、バスの車内は”巨大なはきだめ”と化しているのであった。
これは人々の意識の進歩度合いと言えばいいのか、またはただの文化的慣習の違いなのだろうか。
遠くに見えたラサの宮殿。6日目の涙
まだ若かった僕は、一人中国人と絡む事もなく必死に堪えて乗り続けた。
しかし下手に喋って外国人だとバレるのも怖かったのもある。
途中で他の日本人と出会えた事が一度あり、その時は嬉しかった^^
しかし結局は孤独の中で何日間もバスに揺られ、果てしない時間の中で進んでいくのは想像以上に過酷だった。
そしてある時、いつものようにバスの外の景色を虚に見る僕の目に、その美しい白亜の宮殿は飛び込んできたのだった。
遠くに見えるそれに、僕はまさか!!と興奮した。
それが写真などで何度も見ていた本物の「ポタラ宮」だとは信じられず何度も疑って見直した。
それが徐々に近づいてきて間違いない確信へと変わった時、僕はきっとそこにいた誰よりも感動したし、涙が出そうになった。
「遂にやり遂げたぞ!」僕はとうとう目的地へと到達したのだった!!
総距離2000km以上。
出発してから6日目の昼過ぎのことであった。
驚異の修行、五体投地とは
僕がここまで通ってきた道を、信じられない方法で進む者たちがいた。
それはチベット仏教の僧や修行者、一般人も含めた信者たちもだった。
チベット仏教は仏教の生まれた地インドより直接入ってきたので、脚色されていないもとの教えを、そのまま純粋に継承している。
そして彼らは今でも五体投地を行い、聖地へ巡礼を行っているのだ。
五体投地とは五体すなわち両手・両膝・額を地面に投げ伏して、仏や高僧などを礼拝することである。仏教において最も丁寧な礼拝方法の一つとされる。
引用:wikipedia
これは本当に多大なる労力を使うし、しゃくとり虫の如くほんの僅かしか前へ進めない。
これを20年以上かけて進む僧もいるという話を聞いた。
これは自己鍛錬においてある意味、究極のお祈りであり巡礼、そして瞑想でもあるかもしれない。
そしてこのお祈り方法はチベットの日常で見受けられ、ポタラ宮の前では五体投地にて日々のお祈りをする人々を多く見かけた。
これはドキュメンタリー映画化もされた。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
バスの旅は過酷ではあったけれど、しかし整備された道でスッと来てしまうよりも、よりここでしか見れないものが見れた気がした旅でした。
生活は大変だろうけれど、人はどんな環境でも楽しく生きている。
そんな事も彼らから感じました。
暴力によって破壊されど、破壊できないものもある。
それは民族としての歴史と深みではないでしょうか。
一つ一つの民族が、誇りと融和を持って、共に楽しくお互い暮らせる世界になることを願って。
皆さんもこれを知って、これからチベットに興味を持ってもらえれば嬉しいです❗️