インドにあるマザーテレサの家をご存知ですか?
マザーテレサが亡くなり20年以上の月日が経ちましたが、マザーテレサの家には今も世界中から多くの人がボランティアにやってきます。
今なお衰える事を知らないマザーテレサの魅力。彼女が人生を費やして献身したその場所は、一体どんな場所なのでしょうか。
目次
マザーテレサとは
マザーテレサ(1910-1997)とは、現在のマケドニアで生まれた。
本名アグネス、3人兄弟の末っ子。
一家は裕福であり、敬虔なカトリック信者であり貧しい者への施しをよく行っていた。
彼女は小さい頃から聡明な子で、12歳の時には将来「修道者として貧しい人々へと尽くしたい」と思っていたそうだ。
18歳でアイルランドの修道施設へと入り基礎教育を受ける。そして21歳の時にインドへと派遣されるのであった。
テレサとは修道名である。
その後、15年近くインド・コルカタ(カルカッタ)のキリスト教学校で教育者として教壇に立つ。
36歳の時、転機が訪れた。
「すべてを捨て、もっとも貧しい人の間で働くように」という神の啓示を受けたという。
それ以降、テレサはコルカタのスラム街で、学校に行けないホームレスの子供たちを集めて街頭での無料授業を行うようになった。
やがてそれが広がると、彼女のもとにキリスト教学校の教え子たちが有志として集まり始め、教会や地域の名士たちからの寄付も寄せられるようになっていった。
参考:マザーテレサ
マザーテレサの家
インドのコルカタにはマザーテレサの家と呼ばれる施設が大きく分けて5つある。
それらは貧しい者や路上生活者、孤児、虐待された女性、身体障害者、知的障害者など社会的弱者に施しをする為のものだ。
テレサが一番最初に作った家が、「死を待つ人々の家」だった。彼女の活動を知ったインド政府が、当時もう使われていなかった寺院を彼女へ提供して始まった。
ここは路上で行き倒れている者や、重篤の病気患者、死に瀕しもう治る見込みのない者達への最期を看取るための施設だった。
せめて死ぬときくらいは人間らしく死ねるようにという想いのもとに作られたものだった。
ここでは医療行為は行われない。
マザーテレサは、体を拭き、食事を与え、ベットで寝かせ、手を握り、ただひたすら愛を与えていたのだった。
ボランティア活動
僕が最初この施設の存在を知ったのは、旅の最中の出逢いからだった。
「コルカタでマザーテレサの家でボランティアをしてきた」と言う旅人とインドの別の街にいた時に出逢ったのだ。
当時の僕はそれにすごく興味を持ち、そういう施設があるならば是非一度行って見てみたいと思ったのだった。
コルカタへ
コルカタに着くと、バックパッカーで有名なサダルストリートという通りに宿を取った。
安宿が立ち並ぶこの通り。しかし近くにはスラム街も広がり、物乞いやストリートチルドレンも多かった。
汚らしく、お世辞にも上品とは言えない場所だったが、当時の自分にはちょうど良かった。
マザーテレサの家はそこから程近い場所にあった。
受付登録
安宿には世界中からバックパッカー達が集まって来ていた。
その中にはマザーテレサの家でボランティアをしている人達も泊まっていた。
僕はその中で、社会福祉の勉強をしていた一人の日本人の女の子と出逢う。彼女は10ヶ月の予定で来ていて、ここの宿に泊まりながら毎日マザーテレサの家でボランティア活動しているという。
この環境下で、女の子一人ですごい行動力だなと思った。
僕は彼女に手伝ってもらいながら本部で受付登録を済ますと、そのままご縁から彼女の務める施設へと赴くこととなった。
ダヤダンへ
施設にはそれぞれに名前がついている。
僕が案内されたのは、ダヤダン(Daya dan)と呼ばれ、10歳未満の子供達の為の施設だった。3階建ての建物はそれぞれのフロアで年齢や病別に分かれている。
ボランティアが受け持つのは3階の障害を持つ子が主で、およそ50人程の知的障害、身体障害の子供達がそこにいた。
マザーハウスでボランティアをする上で、一つだけ大切な理念を教えられた。
それが、「子供達も自分でできることはする」だった。
なのでボランティアや周りのスタッフは、患者さんや子供達の自立を見守り、過度に手を出しすぎないことだった。
障害の子供達
次の日からさっそくボランティア活動が始まった。
朝9時に作業はスタートする。
ボランティアには他にも欧米人がいたり、またアジアからは台湾や香港、韓国などから人が集まって来ていた。
すでに何日かやり経験のあるボランティアスタッフ達は、みな手慣れた様子で各自やることを分担して仕事をし始めている。
ここでは誰かに指示されるわけではないので、自分でやる事を見つけなければならない。
掃除、洗濯、食器洗い、着替え、リハビリなどをするようだ。
僕は周りの人たちに聞きながらやるべきことを探していった。
洗濯
洗濯は一大作業だった。50人と言えど、そのおむつやシーツは何百枚とあり、それを洗うのは一苦労だった。
洗濯機なんかないし、屋上の洗い場に水を貯めて足で踏んで洗う伝統スタイルだ。
うんちがこびり付いている事も少なくない。そこだけは丁寧に洗い流さないと落ちない。
一通り洗い終わると屋上に干した。
洗濯物が広がって圧巻の光景となった。
リハビリ
子供達は生まれながらに関節が変形していたりと障害を持って生まれてきている。
マッサージをしてあげたり、矯正装置をつけたり、リハビリトレーニングの手伝いをした。
時に痛がる子供にも、無理にやらなければならない時もあった。
また「子供達とたくさん遊んであげてください」とも言われていた。
子供達もすごく人懐っこくて明るかった^^
食事の介護
そしてお昼ご飯の時間となると、子供達を座らせてご飯の時間となる。
シスター達が作ってくれたご飯、それを自ら食べられる子はそれを見守る。
しかし障害の度合いによっては一人で食べれない子もいて、そういう子達は僕らが口まで運んであげた。
いつも一番元気だったこの2人は、食べる時も元気いっぱいだ😆
全身で嬉しさを表現してくれる。
重度の子は、特別に向き合う。
ゆっくりと口まで運んであげる。
相手のペースに合わせることが大切だった。
休憩は和気あいあいと!
仕事中は適度に休憩時間がある。
そこではチャイやクッキーを出してくれる。
集まってきているボランティアは若い人達が多く、僕のような旅人がいたり、また学生達もいた。
お互いの夢や目標を話したり、なんでこんな所にまで来ているのかだったり、そこには人それぞれのストーリーがあって聞いていて面白かった。
場所柄かアジア人の比率は多く、韓国や香港からの人が多かった。
聞くところによると、日本では旅行会社がスタディツアーと称して、航空券と現地ホームステイ、ボランティア活動とをセットで組んで販売しているようだ。(下記参照)
それで来ている人もいて、なんでも就職に有利なんだとか…
ふむふむ、なるほど!
1日の終わり
ここでのボランティア活動は、お昼過ぎに終わる。
子供達は別れ惜しそうにお昼寝の時間へと入っていくのだった。
最後に掃除をしておしまいだ!
コルカタの街
僕たちが日々暮らしていたコルカタ、そしてここのサダルストリート。
決して綺麗な通りとは言えないし、すごくローカルな一角だった。
バックパッカーの初期、80年代くらいから旅人がここに集いだし、その後安宿が建ち並び始めて今ではバックパッカーに有名な地となったのだった。
この狭い通りに多くの安宿が並び、ローカルな食堂が軒を連ねる。外国人の増加に伴ってネットカフェもでき、ちょっとしたお洒落なレストランもあったりする。
裏手に行けば市場があるし、映画館もある。ちなみに物価はどこよりも安く、映画も50円くらいで新作のハリウッドムービーが観れた。
雨季になると大雨が短時間で一気に降り、街一帯は水没した。
宿の目の前にある屋台では韓国料理を出し、しかし本物とは似ても似つかぬ味だった。不思議な味だがでもそれはそれで美味しかったので僕らはいつもそこでたむろい食事をした。
そこにはいつも近辺を徘徊する、ストリートチルドレンらもいた。
手を差し出してきてお金を乞う彼ら。助けを求めるその姿に、僕らには一体なにができるだろうか?
悩んだ。
お金をあげてもその場凌ぎでしかない。
ならば….??
答えは、簡単には出なかった。
きっと僕はその答えを求めて旅をしている。
そうしてその後1ヶ月余り、この地に残りボランティア活動に精を出すのであった。
ボランティア情報
もし、マザーテレサの家でボランティアをしてみたいという方。しかし一人でインドに行くのは怖いという場合、旅行会社から「スタディツアー」が販売されています。
ホームステイをしながらのボランティア体験。日本でもいくつかの業者が行っているけれど、ここでは大手のHISが行っているものを紹介しておきます。
HISスタディツアー:https://eco.his-j.com/volunteer/pages/motherteresa
こちらも有力な現地でのボランティア情報:https://www.motherteresaindia.net/motherterevlunteershisetsu
また、僕みたいに現地で直接登録する事もできます。突発的にやってみようという旅人にはオススメです^^
みんな安宿に泊まりながら活動をしていて期間は1日からできます。
自身の宗教や宗派は無問、誰でもできます。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
世界的にも有名なマザーテレサの家。
「愛の反対は、無関心」とは彼女の言葉ですがまさに的を得た言葉だと思います。
その後、「死を待つ人の家」にも行きましたが、子供の施設とは違い重い空気。日に何人かは実際に亡くなっていきます。
この活動を生涯を通して行ったマザーテレサは、本当に常人の愛の器では計りきれない偉大な人物だったのだと思います。
ここでの経験の後、僕は自問自答をし始めます。
「この手でいったい何ができるだろう?」
マザーテレサのくれたご縁ときっかけが、その後の僕に多くを考える日々とインスピレーションを与えてくれたのでした。