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クイーンズデーの経験から、ボクの中で何かが大きく変わった。
人への見方、物事の考え方、起こる出来事への捉え方。
何かが本質的に変わった。
これはアフリカで一度自分を大きく変える経験をして以降2度目となる大きな変化だった。
目次
人間の本質
ボクは生まれたての赤ん坊の目線に戻った気分だった。
全てがフレッシュで淡い靄(もや)に包まれていて、無垢そのままのまなざしだった。
けれど、今まで人生を20年以上生きてきた知識と経験はある。
それらの全てを振り返り、より純粋に、より本質的に、そしてより霊的に物事を捉えるようになった。
人の本質は愛である。
それを誰に対してでも感じるようになった。
ボクは無邪気に人を見つめつつ、目線が合うと笑顔になった。
もしかしたら、クスリの効きすぎで頭がぶっ飛んでしまったんじゃないか?と思う人もいるかもしれない。少なくとも普通に考えていたらそう思ってしまうかもしれない。
スピリチュアルになりすぎると、精神的異常を疑われたりもするものだ。
実際にボクは過去にインドを旅している時にそういう人に会ったことがあるし、そうなってしまった人がいるという噂も何度か聞いたことがあった。
ボクは今、自分がそう思われるんじゃないかと怖かった。
確かに自分でも、今までと違うところに自分自身がいるというのを分かっていた。
しかし、ボクのここアムステルダムの友人らは、最初こそ少し雰囲気の変わったボクに戸惑いはあったものの、それでもすぐにそんな変な懸念は払拭したようだった。
それは、ボクが今でも彼ら全員の名前をしっかりと覚えていたからだった。(アムステルダム編#2参照)
「No」と言わない
ボクはそんな中でいくつかの「気付き」を得た。
ボクはまず人とのコミュニケーションの中で「No」という言葉を使わないようにした。
これは普段何気ない生活の中で多用してしまいがちなのに気付いたからだ。
特に人から親切にされると、謙遜や遠慮して「No」と言ってしまいがちになる。
また人生とは日々常に2つの選択肢を求められる。
「Yes」か「No」かだ。
これは単純に考えて、
「Yes」はポジティブで肯定でプラスだ。
「No」はネガティブで否定でマイナスだ。
なので、ボクは目の前に出てくる選択肢、誘われること、問われる質問に対して「Yes」と、毎回ポジティブで返すように心がけた。
出逢う人全てが先生
年下だろうが、まったく社会経験をしてなかろうが、旅していようが、旅していなかろうが、目の前にいる人一人一人は自分とはまた違った感性と感情を持っている。
人はみんな違うし、それぞれに全く違う経験をしてきている。
どんな人からも学ぶべきことはあるし、尊敬すべきところがそれぞれにある。
ボクはどんな相手でも出逢う人たちから学ぶ姿勢を意識した。
英語、常に聞き続ける
英語をもっともっとうまく話したい。
ボクは常に人の会話を聞き続けた。また出逢う人たちに対して、「うまく言い返すことはできないけれど、聞いているから話して欲しい」と言った。
ボクは相手の目をじっと見据えて、その言葉を聞き続けた。
相手が何を言おうとしているのか、言葉以上の感覚を使って相手を理解しようとした。
こちらの真摯な気持ちが伝われば、深く言葉が理解できなくても、それ以上の感覚で相手とつながることができる。
さまざまな国籍、人種、価値観が入り乱れる場だからこそ、「心」というのは一番相手に伝わるものだった。
公園という文化
アムステルダム滞在中、こちらの文化で「公園」というものがとても大切にされているなということに気がついた。
日光浴をしたり、恋人や家族で行ったり。ピクニックだったり、ジョギングだったり。また友人らの憩いの場であったり。
「公園へ行こう!」
「公園で待ち合わせね!」
「みんな公園にいるよ!」
ボクは日本で、ここまで公園というものの存在を大きく感じてはこなかった。
日本で友人らと遊んだり、恋人とのデートとなると、カラオケだったり、ゲームセンターだったり、何かの施設や、とにかくお金がかかることが当たり前だった。
しかしこちらでは「公園へ行こう!」それで全てが解決するのだった。
ジャグリングはポピュラーなもの?
ボクとしては公園でジャグリングをする人が多いのに驚きだった。
ゆうきもジャグリングと出合ったのはアムステルダムと言っていた。
それはあたかも日本人が公園に行ってバトミントンをしたり、フリスビーなどをしたりするのと同じような感覚で、こちらではみんな公園でジャグリングをするような感じだった。
バスキングデビュー!
アムステルダムには世界中から様々な人たちが集まってくる。
街を歩けばよくバスキングしている人たちを見かけた。
ボクももっとパフォーマンス能力をあげたい。そしていつまでもゆうきの後を追っているのも嫌だった。
ボクは、ここで初めて一人でバスキングにトライしてみることにしたのだった。
路上でパフォーマンスをする。
それは何気ないことのはずだった。
しかしそれはボクにとってはとても難しく、怖くて緊張のすることだった。
ボクの元々の性格は引っ込み思案なところがあり、また完璧主義なところもあるので、まだまだ上手とは言えないレベルで人前で芸をするのは恥ずかしさの方が大きかった。
しかし、そんなことを言っていてはいつまで経っても何も始まらない。
そして今ボクがいる世界ヨーロッパは、そんな甘いことを言ってはいられなかった。
ここはある意味、弱肉強食の世界だ。
『やる。』それだけだった。
ボールジャグリング
その日、夕方、ボクは人通りの多いアムステルダム駅前から伸びる「ダムラック」という通りへと向かった。
ジャグリングのボール3つだけを持って。
そして帽子を目の前の地面に置くと、ボクはそこでジャグリングを始めた。
ボールジャグリングはボクが一番最初に出合ったもので、ここからバルーンやジェンベなどの他のパフォーマンスに繋がって行っている。
ボクの一番思い入れが強く、そして一番好きな道具でもあった。
夕方で多くの人で賑わう通り。
ボクは黙々とボールを回し続けた。
いろいろな人が通り過ぎる。
旅行者や、地元っぽい人たち。子供とお母さん、学生達。人種もさまざまだ。インド人っぽい人やアラブ系の人、アフリカ人もいる。
遠くから見ている人や、目の前に立ってじっと見ている人。
「ブラボー!」と声をかけてくれる人、写真だけ撮ってそのまま行ってしまう人。
さまざまな感情が自分の中で入り乱れる中、ボールを落とさないように、そしてなるべく見栄えがして難しく見える技を繰り出す。
精神を落ち着けて、精一杯やった。
そして目標としていた1時間が過ぎた。
果たしてこんなんで人はお金を入れてくれるのか?と最初は思ったが、やっていると意外にも人はお金を入れてくれ、最終的に8ユーロほどの金額が帽子の中には入っていたのだった!
これは嬉しかった!
行く前の恐怖に打ち勝ってやり切った達成感!そして稼いだお金!
その喜びは大きかった。
ボクはゆうきの働くいつものバーに戻ると、彼に喜び勇んで今日の報告をした。
そして初めて稼いだ自分のお金で、彼にビールを買い一緒に乾杯したのであった^^
ビギナーズラック
それからアムステルダムに滞在している間は、ボクは毎日バスキングに行った。
そして知ったのであった、世の中そう甘くないということに…。
初日ほど稼げないのである。
次の日は4ユーロだった。
その次の日は3ユーロ…。
そのまた次の日は2ユーロと…。
どうやら初日に8ユーロも入ったのはビギナーズラックだったようだ。
ゆうきもそんなことは言っていた。初めてやるときはなぜか稼げるんだよ、と….。(笑)
アムステルダムの路上
芸術の街アムステルダム。
ここにはニューヨークよりも多くのアーティストが住むとも言われている。
そんなこの街の路上には、また様々なバスカー達も集まってきていた。
ボクも毎日バスキングをしていれば、必然的にいろいろな人と出逢うこととなっていった。
オーストラリアのアボリジニの民族楽器「ディジュリデュ」をいつも吹いていたおじさんベンツォ。(右)
彼は25年間ヨーロッパを周っているという。
チェコ出身。気概があり強い精神力の人だった。
いつも路上に行くと彼はいて、いつの間にか仲良くなっていた。
ハング(ハンドパン)を初めて見たのもここだった。
緑のジャージの彼はブラジル出身の人で、とても陽気な人だった。
人とコミュニケーションをとりながら音楽を奏で、場の空気を変えてしまう。
セバスチャン、彼からたくさんのことを学んだ。後に彼を追ってボクはベルリンへと行く事になる。
やすとゴッツという二人組。彼らは日本人だ!
「サッカーフリースタイル」のパフォーマー。ナイキをスポンサーに持っているという。
ヨーロッパ武者修行の旅に来ていた。
こんなところで日本人と会うなんて!!
同胞と会うのは格別の想いだった。
独り立ちのとき
本当は、ゆうきと一緒にパフォーマーとして進んでいくのが理想的だった。
相方として一人ではできないことも二人ならばそれ以上の力が出る。
けれど、それはボクの性格的にできなかった。相手に頼るのは好きじゃない。
ボクとゆうきとの力の差は歴然だった。
一人でもっといろいろ出来るようになってからじゃないと、ボクはボク自身に納得しない…。
頑固かもしれない。扱いづらいかもしれない。
けれどボクは自分自身にうそはつけなかった。
ボクはゆうきに言った。
『ちょっと旅に出てくる。おまえがここにいてくれるのならば、俺はここを拠点にしてヨーロッパを周るよ。
そしてもっと成長して戻ってくる。いつかその時に一緒にパフォーマンスをしよう。約束だ。』
ゆうきは真剣な面持ちでボクのことを受け止めてくれた。
きっと「あいかわらず不器用だなぁ」と思ったに違いない。
けれど、それが今の自分の精一杯考えた末の道だった。
旅立ちの日
5月。暖かい日も増えて気持ちの良い季節になってきた。
アフリカから戻った当初のロンドンでのマイナス2度から考えると大違いだ。
ボクはゆうきにある物を預けた。
持っていた国際キャッシュカードとクレジットカードだ。
(ボクはこの2枚のカードで旅のお金を全て管理していた→旅の準備)
新たな旅に余分なお金は必要ない。
お金は200ユーロだけ持っていくことにした。あとは路上で稼ぐ。
そしてヒッチハイクをし野宿をし、どうにかしてくる。
これは、修行であり、冒険であり、挑戦だった。
必ず出来る。そう信じていたのだった。
期限は決めない。
行き先はドイツへ。
バスキング&ヒッチハイクの旅。
新たなる挑戦、新たなる旅の幕開けだった。